あげちうのブロマガ

自己責任と言う無責任

状況は理不尽もある。

強奪連鎖で末端が潰れる時、今は潰れるのが”圧した側”になる」

新型コロナウイルスは、そう言う因果を何でか世界に盛り込んでしまった。その時、酷いと志村けん氏や岡江久美子さんみたいに死ぬ事も有り得るので、そう言う事は厳に慎んでください。

…と言う時、特に女性を強引に売春婦にする、と言う事は出来なくなる。

また、それが事実なら、感染するのは自身の主義主張の問題、でもある。
今回の様に、「経済的に気まずく成れば生活苦から売春婦が増える」と言うそれは全く強奪連鎖の肯定に他ならないので、ここが罹患し死んでもそれは自己責任でしかない、訳だ。とは言え、芸人の世界、特にコメディアンにそんな自由は有るのか?と言う気もするから、何かの意図があるシナリオだろう、それは感じるのだけど。

それはでも、良く解らない。

とは言えともかくまだ、「新型コロナウイルスは強奪連鎖の肯定に反応し重症化する」それは、証明された、と言う訳でも無い。ただ、”ここ”にはこの視点での強い発言力、そう言うのはある。

 ともかく平成の間中、「黄昏の狩人」を盗まれてここは隠蔽され、下敷きにされて或いは死を望まれた、訳だが。通常の法律的な視点でも、その時の加害者はどっち?と言う点で今、世間側に正義を語る資格それは、無い。「正義」それは”ここ”にかなり大きく比重があり、その思想として「大衆は神である」それはあって、それが今、アインシュタインの相対性理論を超えた正論性を発し、世界の中枢に有る、訳だ。その果てに「大賀さん」、紛争解決機構、大衆の決定を結果として現す機構、そう言うのがあり、その結果こそが正義、という状況の中。

新型コロナウイルスはあって、世間に何かの要求をしている、訳で。

”これ”に、世間が逆らえなくなる時?この道理は世間に敷かれる事には成る。何か変化が有るか?と言うと、単に「環境が日本の様に成るだけ」だ。ただ、明確に言える事として、独裁創作それは利益性を失う。今までアート、とされていた殆どは、価値が微妙になる。新規で創るそう言うのは、ほぼ存在しなくなるのかもしれない、今もそうだが。問題ないオーダーが有って、それを具現化し価値として認められる結果、世界は均等労苦社会、”それ”を要求される。

ともかくその時、この新型コロナウイルスでの犠牲者、それは”罹患者の自己責任”と言う事で、オチだ、通常の風邪と同じ程度に。ただ意識の問題、特に売春の容認は、新型コロナウイルスを活性化させやすく、自己責任とは言え被害者は多すぎる位に出るかもしれない。しかし、これ以上世界を止める、それは負の問題の方が多そうではある。

世界は、たった一人に屈するか否か。

そういう話の、結末は果たして。

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