あげちうのブロマガ

その混沌は消えていくか

また長い名前だ。

「アインシュタインの観察者」か。

”現行の”物理、その帰結としてある、「観察者」と言う個人。
”それ”は居ません。

特殊相対性理論?そこに登場する「観察者」は、現状は、根拠を失った。
ただ?アインシュタインとあげちう、どっちが正しい?には、混沌は有る。
「観察者」と問われた場合の意識は、まだ多数決的には、”向こう”に有る。
実際の観察者は、±0、それに対する”0”であり、「有る」時、その裏には必ず居る存在。
しかし?読み方かで、アインシュタインは「観察者」と言う個人とも取れる記述を残して。
それは、何かの混沌をそこに発生させていた、訳だ。

シュレーディンガーの猫、そのパラドックスは代表的な混沌ではある。この例え話は「それは有り得ない」事を説明する為に出した物だが、何故か、「神しか知らない事はある」そこへまだ、繋がってしまっている訳で。

その結果として、世間は、”彼らの声”の方を聞いてしまう?が。

ともかく今、責任を問うなら?その「観察者」に問わねばならない、訳だが。

それもまた回帰する問いではある。
「誰が悪いんだ!?」神様、観察者か、それは誰だっけ?


だから、この場合の追及は、「自己責任です」そう帰結する。

一応、「九尾の狐」に近い。
「間違えた」のは”その理解”であって、アインシュタインでは、無い。
それが男女の性差による物ではあっても、その辺の説明は尽くしては居て。
結局、アインシュタインとあげちう、どっちが正しい?その答えの立場ではあり。
多数決的な「正しい方」その結果として、それはそこに有った訳だが。

結果論としてはどうも、「アインシュタインの観察者」は、”負けた”訳だ。
「そうだ!ロスチャイルド家から借りよう!」そんな事を言い出す輩、だ。
物理として、何かの超大な損失を発生させ、それは今、その責任を問われてる。

”神様”が?

それはおかしい。

とは言え、”多数決”はその事態に対して、多数決らしい返答はする訳だ。


あんた、バカじゃないの?


名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「インポート」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事