テッシュペーパーと、塩の柱。
…おかずにするなら、どっち?
大丈夫か?
日曜日だと言うのにかなりどうでも良い暗黒に呑まれているあげちうな訳だが。不意に入った「ユダヤ教の開祖は”ソドムとゴモラ”に登場するロトであり、その妻とは塩の柱であり、要するにそれがユダヤ教の御神体で有り、神の意向の起点である」そんな理解?の続きが、何だか微妙だ。
色々繋がっては来る。ユダヤ教に有る衝動、願い、拘り、憤り?そう言うのが、今の所はかなり”ここ”に通じてくる。ともかく、お金と換金し得るのは何か?そう言う感覚、それが金融に支配された現代、かなり深く重要な議題にはなる訳だが。創作を志すなら避けて通れない話題だ。相手はお金を持っている。それを得るには、”それ”と等価なモノを持ってくる必要がある。その時、反応として重い。「貴方の描いたその絵は、どれだけの塩と交換出来るだろう?」その、価値の意識。
自分は、信仰が違うのだ。帰結で、「大衆の意思の束」と言う理解、今の所はそれで問題は無いしかし。それはそれとして逆に、「金融を支配する意識」それは、大衆の意向として重い訳で、無視は出来ない訳だ。その時、その意識は「価値」に対して、何を見ているか?
起点が「妻」なのだ。
<iframe width="312" height="176" src="http://ext.seiga.nicovideo.jp/thumb/im7694085" scrolling="no" style="border:solid 1px #888;" frameborder="0"></iframe>
妻に要求するのは…何だろう|д゚)。
要するに、その萌えキャラに有るそれは不足?か否か。
ユダヤ教の帰結的に、「妻」大事なモノ、の帰結は”塩の柱”である。視覚的、触感的?要素だけなら、塩の柱で特に問題は無い、のだが。妻ならその先が有るのだ。その時、塩の柱それは、テッシュペーパーと同じ事を要求出来るのだろうか?
テッシュペーパーを塩に浸してみたらどうだろう。
…そう言う問題だろうか(・・・)。
大丈夫か?
ともかく萌えキャラを描く時、どうしても発生する「不足感」の源泉が何か?が、何となく解った感じも、ちょっとする訳だ。特に近年、「擬人化」的に、なんでも萌えキャラにしてしまう風潮が有り・・・それは尚更混沌が膨らんではいく。塩の柱とベッドインするのは無理がある、のではあるまいか、ましてそう言う行為の結末は…ちょっと問題があるのでは無かろうか。食べ物を粗末にしては…妻が?
混沌。
この時、「塩の柱で行く」と。定義の問題で、一つの帰結は…有る。非倫理的な性行為”それ”は、侵略の衝動である。つまり、「価値を破壊する」損なう行為の事だ。塩の柱に対して、「破壊」は意味が無い…細かくなるだけだが。「汚す」行為は重大な意味がある、商品価値が損なわれてしまう、塩が塩として使えなくなる時。その損害は大きい。
定義的には、「それ」をやりたい訳だが、強姦とか痴漢とかは。
「弁償しろよな?」
その、”汚した分のお金は”払う様に。そう言う定義の帰結的には、その「汚した相手」には、”それ”を、要求できるのではあるまいか?衝動を受け入れた分だけの、発生した損害分のお金は払え。良くも悪くも”それ”が、エロ系な萌え絵の…特異な利益性なのかも。
今までの?微妙に「イラストだけで良い」漫画は、いらない的な?感覚の理由。その先は購入した?人に依存するから、だ…意識の中だけで良い。となると。
萌えキャラに問題は、あまり無い訳だ。
問題としては、その損害分はちゃんと払って貰えるのか?位か。
その辺の強制力それは…有るのか否か。
違う問題は、有る。