あげちうのブロマガ

王と言う名の置物の所有者

不可能はある。

「昔、売春婦を強姦して殺したら憑りつかれた様で、何やっても上手く行かないんですけど、御祓いできませんか」

残念ですが、どうも無理です(=゚ω゚)ノ。


たかが売春婦を殺した位で?と言うのは、この懇願には常に付きまとう話だ。逆にだからこそ、ここへの否定は今もって消えない。こんな話をその当事者が、テレビで視聴者に向けて懇願したらどうなるか?だ。それはもう、単純な二文字の洪水がそのリアルを呼ぶかも。

それは、無理だろう。

「”大衆”にお願いして見たら?」自分の思想としては、”そこ”でオチには成る。”それ”を超える権力、それは自分の思想には存在しない。そこで認められれば如何に荒唐無稽でも通るし、駄目ならどれだけ説明し懇願しようとダメだ。それは、何処かに独裁者が居る、と言う意味では無く、現実でしかない。

むしろ「なんで何時までも生かしておくんだ、そんなゴミ」その方が正論だ。

これもまた、そのまま相反して否定される。自分が或いは断罪し、そのターゲットに当然の罰、を神判したら、世間の反応は如何に?だ。相手には、公式上はその過失を行ったと言う加害の記録は無い。しかし、結果としてはそう考えないとその結果は出ない、つまり隠蔽されている、のだが。それは単に、”ここ”の主観的判断でしかなく、真実はその隠蔽に関わった人々にしか解らないし、”そこ”にしか委ねられていない。

その辺を考えて、現状の「何をやっても上手く行かない」そこは、現状での妥当ではある。


現状まだ、昭和の頃の構造、それが残っている現実は或いは有る。日本は、か。コンテンツ業界は、朝日新聞社を頂点に統制された、一つの組織の様なモノだった、のだ。良くも悪くも、その頂点に”ここ”がかなり深く、或いは”ここ”を頂点として良い状況に変わりつつ有り、末端の結果は全て、”ここ”のオーダーに基づくモノでしかない…最終的にはそんな事態にもリアリティは出て来ている。それに対して、対応出来ない存在は、この業務に関わる事は出来ないのだ。崇めよ、神の如く。

…これが結局は平成の始まりに起きた悲痛と、「中華思想の皇帝」それを呼んだ訳だが。

「大衆」と言う神を、自分はその頂点とはしている。その意向に従っているつもりだが、自分の主観的判断としてもあまり状況の改善は、無い。果たして「事態を正確に知るには末端に居るべきだ」その結果だろうか。ともかく状況を変えたいが、混沌は続いている。

雨は、いつ止むのだろう。

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