理解としては破壊した、と言って良い。
現状、娼婦の必要性、それは無い。
既存の社会が何故売春婦を必要としたか?と言えば、王の意向を満たさんとしたら?”それにより不利益を被る人々を”切り捨てねばならなかったから、だ。切り捨てられる不利益は、結局は社会的な弱者にしわ寄せされ、その先に売春と言う商売?が発生する。
殺している訳じゃない。
身を削って貰ってるだけだ。
今回のコロナ禍の流れが象徴的だが、要するに肉食の果てに有る「人肉食」に通じる訳で、表現としても「女を喰う」そのニュアンスは、良く使われる。今まで一人10万円を100人が貰っていた所を、誰かが一人20万円に上げよう、と言い出して対立があり、つまり極論すれば半分は職を失う?と言う事態に成る、その帰結。結果、切り捨てられた人々は生活苦の果てに死んでしまい、物理的に切り捨てられた、時、”それ”は社会全体へと対価を求める事に成る。その果てとして、新型コロナウイルスの猛威、それは道理としては問題なく、有る。
この事態を打開する最善としては、「20万円に上げるなら?社会全体のお金はその分増やさねばならない」と言う正義と構造を創り、組み込む事だが。非常に残念ながら、”これ”を組み込む時、王の独裁、それは我慢して貰う必要が出てくる。
良くも悪くも、アベノミクス、安倍首相が願う世界を!と言う流れは、最終的には否定された訳だ。政治主体、政権本位での運営、それは支持も有ったが、結論で言えば切り捨てを非とする声なき声の壁を超える事が出来なかった、と言う事ではある、従来の三倍でぶつかろうとダメだった。一種、民主主義の敗北、ではある、受け入れるか否かはともかく、GOTO政策それが、その最後通牒になってしまった?と言う感は少しある。
「独裁性は利益に成らない」それを問われた時、安倍首相は退陣せねばならなかった訳だ。
あくまでも、”ここ”の主張ではある。オカルティックではあり、道理?と言う流れとしては弱さもある。ともかくGOTO政策の施行後、新型コロナウイルスはピークアウトの兆しを見せてはいる。経済を優先し、国民の生活向上を目指し、如何なる手段をも!と言う主張の果てに、独裁性の否定として”ここ”の道理を受け入れる、結果として、でもアベノミクスは否定された、それは何というか、皮肉と言うべきだろうか。
一応は、次の人が誰であろうと、アベノミクス、という訳には行かないだろう。そして退陣したと言う結果は恐らく、次の人にも同じ枷は要求する事には成る。アベノミクスは終わったが、そこに有った執着はまだ、残っているかもしれない。
それは自身の独裁性に対する壁か、それとも邪なる執着か、果たして。