自分の感覚が正しい、とするなら、
「ゾンビリベンジ」それが駄作で何の価値もない、と言うなら。今の邦画、或いはテレビ業界その物?いわゆる「表側」それはこの程度の作品で、或いは非常に重い損害しか出してない、と言う事になる。
社会のお荷物以外の何物でも無い、訳だ。早々に廃棄した方が良い、そう言う。
良くも悪くも、CMあるいはプレイすればするほど、そのダメっぷりがハッキリしてくる、と言う。これは…非常に面倒な事態、ではあって。
その、根幹的なコア?執着、”それ”を否定する上で、「マイナーなんか目指すな」それが断言出来れば良い、のだけど。
何だか非常に昭和的な、良くない何か、それを語り出してしまう?そんな気もする。
「俺達が命懸けで続けてきた事を侮辱する気か?」
「寝言言ってんじゃねぇよ、このごく潰し共が」
この戦いを制するのは?ともかくちょっと、剣呑さが。
ただ、ともかく平成において、「テレビは極端に売れなくなった」会社が傾くほどに、それは、間違いない、訳で。そして、テレビは主に、「中華思想の皇帝」それを支持し、それを王と掲げて、その方向性で続けてきた。「ゾンビリベンジ」それは、皇帝の「実際の能力」それであって、そして今の、テレビで放送されてる作品その物でさえある、今も。
面白くない。
殺意さえ始まる程に。
そして、或いはテレビ業界その物も?或いはこの「ゾンビリベンジ」これを”駄作としか認識できない”のだ。「これがあなた方の作品です」それが事実であるとしても、だ。
それでも、テレビは?目指す何か、その為に、”このまま”続けようと、している。
ゲームをクリア出来れば、少しは評価も変わるか?という気もするのだけど、それは今の所、こういう感覚の中で、ちょっと無理そうな感じ。絶対に無理?と言う訳じゃないのだ、クリアしてた奴は居るし、可能性はある、しかし。物理が邪魔する感覚は、何かの危機感さえ孕んでそこにある。
これは、無理だ。
こんな方法論で映画や番組創ってたって、売れる訳が無い。
そう言う事だと思うのだけど。
売れなかった、駄作だ、これはダメだ。そう、成らない。
「大賀さん」その決定に逆らっている、という事だろうか。
なら、テレビ業界その物が今、「反逆者」或いはテロリスト、それであって。
それは、ちょっと問題が重い。