「これは仕事だ、遊びじゃない」
そう言う奴が、一番上でふんぞり返って、下層を見下ろしてる、訳だ。
要求はオーダー書と言う形で発生し、現場自らでは創れない。
それはその通りに創るべきで、不足は自身らで埋める必要があり、不備もまた自己責任で補修せねばならない。
で発生する問題は現場側の責任に成って、オーダー元には届かない。
余計な改訂は失敗の元だ、損害が出たら、現場の責任に成る。
何もしてない、ペラ紙一枚の作者は売値の5%をただ、何もせず掠めていく。
創作とは、こんな、工場での流れ作業の様な仕事だったか?
「自分でもオーダー書を出せばいいのに」
その前に、需要は既に、名のある連中によって寡占状態だ。
良いアイディアは、彼らにしか発生しない…こちらには廻ってこない。
買って貰えないオーダー書が山の様にあり、それらはゴミとして逆効果に、選抜から外れる。
…結局は、名前のある人々の元にしか、利益は発生しないのだ。
「ストリードの連携」その、かなり卑屈な視点での、でもこれは現実かもしれない。
とは言え、理解?認識、感覚としてこの先の言葉は、濁る。
注目される様にPRする必要はあるし、紛争解決機構もある、不足が有れば勝ち取る事は出来る。失敗には相応の理由があり、責任に対しては、然るべき対価は支払われる、実績も無い所に大金を預ける事は出来ない。注目されるだけのスキル、評価が無いのなら、どんなに良いアイディアでも徒労に終わる。万引き如き犯罪じゃねーよ、そう言う物言いは評価を下げる最大の要因でさえ有り、それを公言する所に利益は発生しない。勿論ひそやかにでもダメだ。
「大衆は神である」
それは意外な程、理由と共に道理の上には、有る。
一番上は、ともかくそう言って、その不平等を補正しようとは、しない。
そんな連中が提案する「紛争解決機構」それで、下層は勝てるだろうか?
自分らにしか勝てないスイッチの様なモノが仕込まれていないと何故言える?
現実は不平等だ、中華思想の皇帝、それは正しい、彼はそれを打開しようとしたのだ。
彼は或いは負けたかもしれないが、それはつまり、現実が狂っている、その証明の様なモノだ。
打開するべく、そんな現実に抵抗する。
これは正義だ、現実を破壊し、新たなる世界を。
世界など、滅んでしまえば良い。
意外と不意に、”これ”がリアルに存在する感覚だ?という事に、少し怖さは思う。
現状、自分はそんな彼らと或いは似たような境遇にはあり、何だか不意に声もある。
もちろん、そんな反社会性のある所に、利益性のあるアイディアも技術も、行く訳がないのだけど。
潜在的か、或いは現実的なテロリスト、それは、正義と言う名の邪悪を掲げ、構造へと挑み続ける訳だが。
システムが、彼らを、物理的に潰していく、感覚も何だか…ある。
安全が担保されるまで”ここ”に居た方が逆説的に安全だ、そんな気もしない事もなく。
それは、正義か。