あげちうのブロマガ

正論と言う名の矛と屁理屈と言う盾

今の自分は、屁理屈で出来ている。

「利益性が無い」のでは無く、これは”独裁性の抑止”である。
カウンタ数値の低さは逆に安全のフラグでさえ有る。
ここは何の注目も無いのだ。そこを話題にする事は出来ない。

生活は何とか出来ている、収入的にはむしろ安定?している。
特に面倒な病気を抱えてる訳でも無く、健康面では深刻な状態では無い。
創作は続けられている、ネタ切れを特に起こした訳でもなく、酷い劣化もしてない。
単に、独裁創作として作ってる限りは、それは利益に成らない、それは解っている。
それを何故やるか?と言うのは、あくまでも何かの確認に過ぎない、金にはならない。
ともかくそれらが維持されているのは、それだけのコストを支払っているから、だ。
創作?によって精製している「価値」があるからこそ、自分はまだ有り続けている。

…とは言え、「入金が無い」その物理的事実は、大きな疑念と信用の無さでもある。
第三者に成果を示し、協力或いは、を求める事が出来ない。

「お仕事は?」
YouTuberみたいな事をしてます。
「へえ、再生回数は?」
0とか12とかです。
「…直ぐ止めた方が良いのでは」
カウンタは制御されているです、私は当局の監視下に有る。
「生活の方が大事じゃないですか?」
そう言う訳にも行かないんで。敵の攻撃は続いている。

ちょっと緊急に何とかした方が良い衝動に駆られる前に、少し黙った方が良い。


社会に説明できる状況が構築できない、それもシステムによる抑止?と言う事には、重い疑念はある。信仰が試されてる?と言う割には長い話だ。だんだん解ってくる話もある、創価学会の「いらない」の帰結が、統一教会に成る。創価学会は「王の権威」を捕まえて飼って居なければその思想が成り立たないが、その結果として、だ。ともかく今、「大賀さん」紛争解決機構の設置により、王の権威も、中華思想の皇帝も不要になった。今、”これ”を掲げるなら、世間の「お前はいらない」その標的となる。

結果、不思議な帰結?はある。「王の権威」=「いらない存在」なのだ。それは誰か?そこに居る時、人は果たして、耐えられるか。

使命感と共に、王の権威を殺そう、それはまだ、重くある。

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