あげちうのブロマガ

アイドルよりも萌えキャラが好き

非常に単純で解りやすい感覚は有る。
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女性が歳を取り体形も崩れ能力も衰えてくる、と。”こういうの”に価値を一切感じなくなる訳だ。むしろ、忌避の対象でさえある。”これ”が売れる利益になる、経済的に大事?「それはおかしい」そう言う話に。更にこの時、男女差で嗜好の乖離が逆方向に広がってしまう結果、何かの信頼感さえ崩壊し…、女性は、制御出来ない妖怪と化していく訳だが。

「大衆」神様、(0±0)は、その反応に対して「貴方は間違ってる」と言う結果しか、出さない。

大概の場合、”以前なら”逆なのだが。「これ、私ですね?」美少女キャラに対して。夫に相当する人?も反論しない、他人も表立っては反論しない。”何か”が変質していくのを、どうにも止められないまま、何かの境界線を超えていく訳だが。

…誰が悪いのだろう?


「アイドルを求める」のは、基本的には「大丈夫だ」その安心感を得たい為、だ。自分の毎日している事に問題は無い。その先には、こういう娘さえ待っている…、有能かつ勤勉で有れば。「それは無い」のだが、昔は娼婦にそれほど否定感は無いし?男性上位社会だ、女性は感覚論で売り買いの対象でしか無かったのかもしれない、対価として買う物。歪んだ感覚は、意外と市場原理の中で補正はされていく、としても。

独裁性に、「作家性に」拘る限り、”その”理想は一部には幻でしかないのである。100万円投入しても80万円位にしかならない、時。捨てられる二割に成らない為には、他者を蹴り落とすしかない。どうやったって2割以上の犠牲は発生する時、そこに幻を追う理由は無くなる、アイドルに救いを求めるのは、切られる二割だからこそだ。アイドルに対する要求と危険性は近年、剣呑に高まっているが。最早、時代的な限度にある、そう言う気はする。

…そう言う意味で、アイドル的需要が「萌えキャラ」にシフトしていくのは、至極当然なのかもしれない、が。

萌えキャラを描いてる人々だって解っている。「妄想より現実の方が上」だ。現実のアイドルの方が、萌えキャラよりも価値があるのである、そうじゃないとおかしい。しかし?「萌えキャラ」が結局、「システムの可視化」の様なモノだとしたら、実在の美少女には不可能な対処能力は有る訳で、実際にはその方が、視聴者を意識的に救う”何か”かもしれない。作者も、世間一般も否定している「単なる二次元キャラ」に、アイドル的興奮を向ける、それは「キモい」を超えて実際の利益があり、”需要”はそこにあって、それはアイドル的市場を食ってしまう、訳だが。

独裁性が問題なので。”この場”にストリードが張られている、としても。

説明?として、ちょっと届かない部分はまあ、ある。


状況に問題はある。ともかく生身の人間に「萌えキャラ」それは出来ない。


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