最後の一人まで行く。
結局無理だと解る、その繰り返しが続く。
スペインでの、女神像の酷い修繕は、主観でふと「依頼者にとってのゼビウス」の様なモノだった、そんな風に感じると、少しその先にシンクロが有る。
「なんでこんな風にしちゃったの?」
そこには永劫の謎が有るのだ、踏み込めば踏み込むほど、解らない。
本人の意識は異なる。「ゼビウス」のオーダーは、或いはスペースインベーダーの保全、そう言う物だったかもしれない。それはそれとして、原形を残した感じに。虚無を感じる失望と、そこに見える戦場の現実、そこは残しつつ、「戦闘機に乗り得る」その”現代”的な。ただ、現場?は何故か、「戦争って面白いですね」結論でそんな事を言ってしまった。オーダー側にしたら、スペインでのあの女神像の如く、異様ささえ有る「ヘタクソ」だ。
自分はこの方が良いと思って!
ゼビウスに対して、見た目上は文句は言いにくいしかし。オーダーとのかい離は、遊べば遊ぶほど、妙に強く感じる「ヘタさ」ではある。
…これは、この分析は「正解」そう言う感じになっただろうか?
それともゼビウスを創った「宗教家」は今も、自分は間違ってなかった、スペインの女神像はアレで良い!そう、言い続けているのか。
ともかく解っている事は、独裁性は最後、一人の反逆者を前に逆に負けるか壊れる、そう言うオチが有る事だ。相手からお金を得る事が出来ない、相手には「いらない物」だ、要求額も持ってないのだ。「と言う訳で、貴方はこの世界に不用なので消えなさい、お金は置いて行く様に」独裁創作は結論で”これ”を言う。それを押せば、相手には逆に神の救済、それが現れてしまう。
或いは悪魔の姿と共に。
利益性を求めるなら?どうしたって「オーダー」そしてその問題ない遂行、それが求められる。「新聞記者」を強力に否定する意識も、或いは世界中の多くが、自分の創った作品が高値で売れる、そんな夢を見ていて、それは具現化し得る可能性が常にある。「相手がお金を持って居れば良い」のだ、相手に必要か不用かは関係ない。出せと命じて出せばそれで良い。
その先に今、新型コロナウイルスの猛威、それが有る。
「鬼滅の刃」を、メディアがどういうつもりでプッシュしているか?は解らないしかし。理想で言うと「商店街が総じて流行ってる」それを大きく壊す、そう言う感覚ではある、他の作品は何故ダメなのか?何故これだけ。”それ”は大きく「神の理想」それを否定し、或いはその結果、新型コロナウイルスは活性化する、それは「大衆は神である」その理想からすれば真理だ、が。
貴方は神を信じますか?
神様って何ですか?
統一性は今も、無いかもしれない。
菅首相は既に、バイデン候補を次期アメリカ大統領として接してしまった、が。アメリカの方では続々と、その不正の報告が上がっている。それをアメリカ大統領にするのか?そこには大きな疑問は発生していてしかし。メディアの独裁性は、それを押し通そうとしている。
混沌は加速し、執着点は、今も見えない。
「王様が居ない」その功罪と言うか。