打開は今も、微妙に見えない。
今も結局、「王の権威」と、「中華思想の皇帝」その対立の構図は何か、ある。
そして、いわゆる「採用する側」が、皇帝側である、と言う構図も根本的にはまだ、変化が無い。
主観的な理解、だ。
後者に採用されても、利益が出ない。
前者に採用?されても、作品は店頭に出ない。
特に、平成が始まって直ぐに、今までの「王の権威による選抜と採用」が破壊されてしまった、訳で。
変わって、皇帝側の採用と選抜が始まった、結果は、平成の不作と、そして大不景気へと繋がっていく。
”それ”でも、表側は、中華思想の皇帝側にまだ、有る訳だ。
今までの経緯には、まだ理由がある。
「王の権威」側の採用で有ろうと、独裁性の容認は結局、末端を潰す結果にしか成らなかった、のだ。
逆に言えば、「売れなければ」それは”何の危険性も無い作品”ではあって。
だから、その意味では、利益に成らない、売れない作品が、平成では選抜を通ってしまった、訳だ。
この辺の問題はでも、2000年代位にはもう、解っている。
しかし、明確な対策が出来た、のは、それから10年位後の話、だ。
それまでは、結局は昭和コンテンツを食い潰す感じでしか、利益?は出なかった。
ともかく、状況は近年、多少、変化はある。
「モンスターハンターワールド」は、一応は大ヒットしたし、「ガンダムビルドファイターズ」は名作的な扱い、「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」は、近年には珍しく”まともな結果”に成ったガンダムではあって。現状の「独裁性を抑える」それが、状況を改善しつつはある、のだ。ストリードの連携、それは効果がある。
ただ、「昭和の頃に求められたスキルがある」場合は、だ。
平成に求められたスキルは、この環境にどうも、容易く対応し得ない、感じはある。
平成に求められたスキルは、結局は略奪の術、でしかない。「被せ」それは単に、相手に解らない様にパクる技でしか無く、意味論的には店頭販売と店員への給与、でも。商品を”盗んで”パッケージを変えて売ってる様なモノで、「だったら商品代金は渡さないと」と言う流れの結果、”それ”を通さない限りは利益には通じない、現状は有る。
見えない世界の話だ。
理解も得にくい訳だが。
平成の30年を維持した?業界の多くは、或いは数多の負債と加害を積み上げてしまった、可能性があり…”それ”を認めた時、人生そのものが終了してしまう、そう言う状況もどうも、多々ある。
自業自得ではある、としても、それを自身らが問い詰める事が出来るか?と言うと難しい。理解として「黄昏の狩人」を持ち込んだのは増尾昭一氏で、庵野秀明氏は”それ”を知りつつ土台にしていた、だけかもしれず、或いは。ともかく庵野秀明氏に明確なパクリの加害性があるか?と言うと謎で、そしてその作風が実際は皇帝創作、「土台にしつつDisって潰そうとする」それで有っても、”それ”を非道と訴える事は出来ても、「そこまで」だ。大衆は神である、面白く無ければ売れない。そして、近年の彼の作品で明確なヒット、と言うのは…無い。
”それ”を評価しやたら持ち上げているのは誰か?と言う、問題はむしろ”そっち”になってしまう。
その結果だろうか、千葉の台風被害は、次第に、洒落に成らない天変地異であった事が解ってきた。
皇帝であろうと、評価し推す人々が居なければ、パワーは持てないのだ。
そして世間は今も、王の権威よりも、皇帝側に責任を預けている。
王の権威側には、「責任が無い」のだ。
責任者は、責任を取る為に、居る。