あげちうのブロマガ

王の前にいる神について

多少の、”感覚の変化”はある。

「評価」が変わりつつ有って。
テレビでも、苦に成る表現、”それ”が大分緩和された…気はする。
常に触れてしまった「混沌」の一つが薄れたから?かもしれない。

「頑張れば何とかなる」と、言いたかったが。
”それ”は「硫黄島の決戦」と言う事実を前に、評価されつつ否定され続けた。
反体制的な不満と思惑を膨らませていく果てに、何かの邪の起点となった、が。
低レベルとは言え「テレビゲームは面白い」それは今、理解され、通る状況はある。
”ぞれ”なら、その作品に込めた、或いは実例を伴う主張、それを否定する理由、それは無い。

「頑張れば何とかなる」のだ。
諦めたらそこでお終いなのだ。
テレビゲームと言うのは”そう言うモノ”なのだ。

”それ”は一応の、何かの同意と共に妥協された、のだろうか?

ただ、やっぱり混沌と言うか、基本的衝動その物は残っている。
100万円投入して120万円回収、何故、”その程度の事”が出来ないのか?

単刀直入に、”物理を前にして”だ。

コストを、或いは時給換算で10000円程度費やした創作は、可能なら12000円位で売れて欲しい、が。
実際にはそうならない、売れないか、100円にも成らないか…そう言うのが現実。
”それ”を期待する12000円で売る為に投入するコストはその後、ほぼ間違いなくその価格を超える。

何故か、利益に成らないのだ、それは自身にとって好ましいモノであっても、だ。


これらの現象を打開するべく、”雅”市場、と言うのを設定した、のだが。
「ASP」その物は、”それ”を構築する際の、感覚的土台ではある。
しかし自分の体感的な結論で言うと、この環境であっても期待される”それ”は実現しない。

「大衆」と言う神は、そう言う物を換金しよう、そう言うつもりがほぼ、一切ない。

”それ”も物理であって…結局は最初の原始的衝動、それは自分も諦めたのだけど。

その後、「ストリードの連携」そう言う構造を良くも悪くも草案し、構築したのだが。

最初の「独裁創作は売れない」その理解は、このストリードを張っても変わらず、結局は「それをオーダーとして」外部の人々が創るか、或いは自分で造るか?と言う、その「仕事」と言う形式を通さないと、換金性を持てない、と言う現象として確認?と理解はされたのだが。

…とは言え自身の今にしろ、”それ”が換金された、と言う事は無いのだ。
「カウンタは制御されている!」としても、そう言う権力は存在し、自身の前に有る。

ともかく現状が維持されている…”それ”を持って、「利益が出ている」そう言う理解にしては有るが、”向こう”に有る状況は、今も何かの剣呑さと共に、「今まで通り」ある意味での犠牲、その容認を求めては居る。東京でも、今だに新型コロナウイルスの罹患者、それは一定水準のまま出続けている…特に大阪なんかほぼ0に成ったにも関わらず、だ。感覚的に、大阪の感覚なら「儲からないなら止めちまえ」が通るが、東京では今も最終的には通らないのかもしれない。その為に誰かが犠牲に成ろうと、夢の実現こそが優先される、それが正義。

…”それ”はもちろん今も、「大賀さん」その決定に対して、戦いを挑み続けては居る。

致命的な事態、だ。大賀さんの決定に従えば「死なねばならない」が、「逆らっても死ぬ」のだ。一つの致命的な、でも”実例として”知りたい結果でもある。人間的把握で言えば前者の方が、まだ”失職するだけ”だ、生存性は残っているが…ブランド、プライド、そう言うのは”そこ”に重い抵抗を残してる、程度だが、事実は違うのかもしれない。アメリカではcovid19その第二波が始まっていると言うし、黒人の暴動そう言うのも出口が見えない状況にある。平成の始まりは”そう言う果て”に、天安門事件さえ起きている、のだが。打開を求め。


”これ”に拝むと言う、その奇妙さと、正義とは。

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