パン屋が、二件出来た。
最初は、Aのパン屋が有って、相応人気になった、のだが。
それはでも、別の都市で見た人気店、そのパクリみたいな感じで。
そう言うのが解ってくる?と、人々の間で好ましくない評価が始まって…やりにくくなった。
そこで、隣にBのパン屋が出来た。
それはAのパン屋に対抗するノリで、別のお菓子屋が始めた物、で。当初は否定感もあったがAの風評が悪化するに従い次第に、客を得て行った。
Aはそれで、本家のパン屋に交渉、正式に許可を貰う事に成功し、以後は”そう言う店”として続ける事に成った、が。
不思議と、A店とB店の意向は似通い、衝突する様に成っていった。もちろんB店にしろ、A店の元になった店の事は、良く知っている。今の方向性は”それ”と合致しない様にした結果、似始めた訳だが。
どっちにしろ、「A店の元の店」を土台にしているのだ、それは道理の様な帰結だが。しかし両者の衝突はどうも、剣呑さを孕み始めて行った。
”ここ”に、「大賀さん」が有ると?或いはこの場合、A店の方に方向性かの変更、”それ”を要求する事には成る。「被せ」と言う過失があり、”その先を”B店が続けたにしろ…継続が難しくなった、”それ”は自身の失念か失態の様なモノだから、だ。B店の方が、経緯としては先人でもある、その実績を否定するのも好ましくない。しかし、この時両者には面倒な話があった、どっちにしろパン屋の経営に関して「同じ教本」を参考にしていたのだ。”それ”は、そう言う撤退を許さなかった。
…そしてその教本に、「大賀さん」その概念は無かった。
両者は”同じ市場”に対して、0か1かの、しかも根拠のない戦い?を強いられる事に成った。もちろん教本には、”それ”に対しての対処法は無く…答えの無い混沌とした対立は次第に、両店を腐らせていく事に成る。売り上げはもちろんただ、下がって行った。
…ってなったら困るのだが、この場合、最後に問題なのは「パン屋の教本」なのだ。
それに、「最後は大賀さんで」その記述も感覚も無い、結局は「私が神だ!」とさえ言いかねない強力な独裁性によりそれは記述されており…その影響下の人々も、それを否定出来ない状況だった事が、その不毛な衝突を招く、のだが。
良くも悪くも、昭和の「認められた」人々、と言うのは何処かそこか”そう言う面”はある。
「王の権威」を説得出来れば通ってしまう結果、”そこ”に注力する先で、「私が神だ」その断言は発生してしまうし、また、「昭和天皇」にしろ、それは最終的には言い難い、太平洋戦争の記憶は、その過失は、忘れ難い何かだ。そして今、”そういうの”が弱まる結果で、それは妙なカルト、その台頭を許す事に成っていく訳だが。
それは果たして。