個人的な把握。
まだ、「中華思想の皇帝」その残り香的なモノが、何かの封印を残してる。
ただ、それが何によって?と言うのは今もまだ、ちょっと解らない。
飯塚幸三容疑者が安直に罰せられない状況では、最終的には社会へ倫理も期待出来ない。
そう言うパワーなのだ、中華思想の皇帝とは。
そしてそれは、王の権威、と言う特殊さを理由にして発生する脅威ではあって。
「中華思想の皇帝」それが、自分から「黄昏の狩人」をパクって、それを土台にして何かの影響力を持ったは良いが、「盗品ですよね?」そのツッコミによって、やがて状況が悪化していった。しかし、平成の社会は”それ”を土台にし依存して発展した、のだ。その権力もだ。
その過程で、様々な加害や損害も発生して、相手側はかなり状況が悪化した、「利益が発生しない」事態に陥るのだが、その理想に対して支払った対価の大きさだろうか、退くに退けない状況は、益々悪化していって。
今は、実は残党しか残っていないにしろ、寧ろそれらの結束は固く、残った砦に立てこもっての徹底抗戦、そう言う状況で、「大賀さん」その決定を無視し続けている。
ともかく向こうはまだ、それが可能な、何かの切り札的なモノは残っている、のだが。
こっち側の意向をごり押しして良いのかどうか?も、判断し難い。
今、自分の状況を改善するのは自身によるしかない、のだけど。
社会の構造としても、”それ”が可能な構造を失っている、と言う把握。
中華思想の皇帝、それがまだ、何かの抵抗を続けているから、だが。
創作者の夢、独裁的な創作の利益性は、他者の犠牲が無ければ成り立たないからだ。
ここで引き下がったら、或いは今後、そう言う事は一切許されなくなる。
「ビートたけし」氏なんかは、その価値感では恥知らずの筆頭でさえある。
そして、その衝動の原理となる理由が自分に無い?とも言い難い、状況。
死ぬか生きるか?だ。
残党にしろ、もちろん自分の視野範囲では「生かしておかん」そんな環境である事は間違いない。
貴様らにどれだけの損害を受けたと思ってる、取り返しが付かない、絶対に許さん。
或いはそんな奴をそのまま王にしたら、逆らった奴らは一族郎党皆殺し、ではあり。
感情論的にも、ちょっと今の状況の”ここ”の言う事には、受け入れ難さはある。
求められる「成功」その絵が全く、無い。
作品がウケたとか、売れたとか、お金を持ってるとか、だ。
もちろんだから、その今の状況で説得力ある「成功」は、他者の犠牲を伴うのだ。
”それ”を回避し続ける結果として、敵対した「中華思想の皇帝」その影響?は、かなりの排除にはなった、にせよ、自身の提示する方向性が必ずしも理想では無い、それは間違いも無く。
問題ない状態として、その辺に置いてある岩、という状況は間違いない?のだけど。
それだけに、岩に対して、何かのメンテナンスその他の必要は有るのか?それは。
自分より高い能力を持つ存在に、打開を期待する、として。
理屈の上で、「王の権威」それを超えると言うのは、存在しないのだけど。
世界が動く、それは”時々は”感じるが、何かのストレスと共に、だ。
寄りそう岩に、問う日が続く。
何とかならんの?