この例は、微妙に知っている。
「小学生の交友関係調査」は、何だかかなりの深刻さを持って、意識で停滞している。意義も理由も、方法論も理解はしつつも、何故か「異様な否定感」に、身がすくむ。
「何とかしてくれるんですか?」
私は虐められています、助けてください。
恐らく、この調査は現状で、”それ”に応える事は出来ない。
…これはあの「曼珠沙華」と言う歌の問題に、実は通じている。
「それは無理だ」それを断行した結果、一種の壊滅的な事態に陥った訳だが。
ただ、多少の希望?だ。これを幾らか見れる様にしたPV、それが存在する。
「江風で曼珠沙華」
このPVは、テーマその物が、かなり大幅に変化している。登場する人物を大幅に刷新し、感覚を変えちゃってる訳だ。この歌はどんな歌か?「ナンパな坊主に騙された、とある少女の恨み節」である。
その時、そこにはまだ、許容の様なモノはある…だから。
この例も、これに類して、テーマを変えてみる。
或いは主体がまあ、”この場所”に移動してる可能性は、有る訳で、可能性はある。
勿論この「小学生の交友関係調査」は、基本的には何の為に?と言えば、国家の問題を打開する為、である。小学生の間に広がる諸問題その解決案を模索し、その糸口をつかむ為、だ。その時、何が問題か?
国家が”こういう事”をしてるからでは。
既存の成功例を隠し、そこに”被せ”て、自分らだけ利益を得よう、そう言う姑息さこそが、何かの歪みを産んでいるのでは。「曼珠沙華」を創らされた側にしたら「どーでもいいからさっさとやれ」でごり押しでやらされ、出来ずに叱責されて「なんで?」が蓄積する訳だ。それを現場イジメと言わず、何と言おう。
この中間に居る、ヘタクソな”被せ”しか出来ない無能な上官を何とかしろ。
ともかくその為に、「国家の政策的な問題を糾弾する為に」この調査は行う必要がある、事態を変える為には、必要な調査だ。
「全て国家が悪いので、その辺の意見を集めに来ました」
そのつもりなら、少しは、正義と共に、意欲も出るのでは無かろうか。