どうにも、年の瀬気分が出ない。
出張動画版の方は、本日で取りあえず更新終了、再開は来年の1/3から、を予定している。私事ではちょっと正月と言うのに忙しい、だからだろうか。何とも正月気分も、クリスマス気分も無かった。何だか、状況は改善しつつ、不意に無意味な壁に止まる感じ。シニア世代に残る混沌はまだ、そう簡単には動かないのかもしれない。
今もなお、「紛争解決機構で決着にしよう」それには、重い否定?が有るのだ、そう言うのは何となく感じる。
…ただ、それに対するリアリティを問うても今は、意味が無いのだけど。
平成に入っても、紛争の危機は幾度となくあって。その都度、時の大統領等々が何とか交渉を続けて、実際の戦闘に入らんと言う危機を回避してきた。そう言う苦労が、ゲーム機で決着に成るとは、到底思えない。
で?
反論?には、この先は…無いのだけど。他の打開案、平和への努力それは、何を示しているのか?この先は、言葉は濁る。朝鮮は日本の介入により、様々な不幸を受けて来ている。北朝鮮は脅威だ、彼らはアメリカを恐れつつ上手く交渉を続け核兵器を持とうとしている。危機は高まっているのだ。
だから?
”それ”に対して、「だから、紛争解決機構なんか意味は無い」それは、繋がってこない。非常に曖昧なまま、結論的には紛争解決機構の否定、”そこ”へ何故か、その意識は向かう。「テレビ」と言う媒体の、そこに持つ実際には邪の発露、それの様にも思えて、最終的には否定感が消えない。テレビには、”表”に独裁者が居るのだ…平和主義?な。
ただ、その表の意向により…大阪での長女監禁遺棄事件は、起きたのだが。
「個人的にいらない人」を否定する結果、彼らは或いは、自身への否定を子供へと偏向(八つ当たり)し、長女はその牢獄の中で、理不尽に緩やかに16年費やして、殺された訳だ。
現状、それらを起こした意向としても、「神様」のポジションに入ろうとすれば「死ね」単純な”それ”にはぶつかる。平成の諸問題の全ては”そこ”に原因がある、世界を救わなかった神など死ぬべきだ。実例としても独裁者が居る状態では、利益性に重大な懸念がある。アベノミクスには、実際には明確に景気が回復する理由が無い、単に博打に成功しただけ。通常の経済学などには景気を回復させる方法論は無い、だからこそ平成の大不景気は発生したのだ。それらを理解した上で現状、景気が上向いている?時。果たして”何処”に、その理由は有るのか。
”ここ”は、一応は打開案の提示も、実践もしている、のだ。
”雅”市場が出来たのが2009年付近、「電影旅団オーガ」”大賀さん”のコアが発案されたのが2010年頃。その頃からこっち、やっと景気は回復基調に成ってきた訳だけど、それまではどうもかなり危なかった、のだ、実際に戦争も起きてた。効果がある、としたら存在を否定する理由は無い、しかし。その結果、今までなら存在した「独裁者」中華思想の皇帝、或いは王の権威さえも、”そう言うの”は、不要になる。
テレビが目指しているのは、一体何なのか?
果たして高速道路を逆走する老人は、単にボケただけなのか。
既に決まった事に彼らはまだ、逆走しても、抵抗しているだけなのでは。
昭和の頃に出来た、妙なブランドと、それに伴うプライドと、尊大。
シニア世代は?時々、微妙に歪んで、おかしくなる。
彼らの心の中に有る、その邪の塊はまだ、何かの逃げ道を探して蠢いている。
「正義は勝つ」時、狂った親と、それに養われる子供は、どっちが勝つのだろう。
そしてその結末は「良い結果」に成るのだろうか。