何の関係も無い、だろうか。
HPの方が、落ちてる。
※AM7:00現在、回復。
障害情報には「問題は発生してません」とは出ているが。
ちょっと嫌な悪夢は考えるが、その結果は果たして。
状況として問題に成るのは、一応は「一人」個人、だ。
そしてその状況その物は、単なる一般人だ。
それに対して”創作業界その物が”総出で虐めてた、と言うのが問題ではあって。
その経緯は、「昭和天皇」それに対しての”それ”ではある。それも問題ではあるが、立場の責務と思えば、耐えざるを得なかったのだろうけど。
しかしそれが、その死去と共にそのまま?か、”ここ”に向いて、彼らは”それ”をそのまま継続した…のが、歪の始まりではある。
多分。
落とし前の付け方、と言うか、何だか理不尽の行方が無い。
そして、そうなると、どうしても「昭和天皇的なポジション」の待望論に成って来て。
そこに名乗りを上げるのが飯塚容疑者だったりして、しかし、その後におかしくなる。
状況だ。後ろに下がれば殺される、頭を下げれば、責任を問われる。
ゴブリン化すれば相手を制御し得えた可能性、それは今、「殺します」そこにある。
しかし、責任を問われるとどうなるか?
まあ単純には、今まで後輩以下だった存在を、社長の如く扱わねばならなくなる訳だ。
「目上の人間に対して失礼な事をするんじゃない」
それを、”ここ”に対してやらないといけない、と言う。
結局、平成の始まりは、”これ”への否定感、それでああなった、訳で。
「虹色宝珠」その入選を”そのまま”受け入れていたら、そんな悪夢の始まりだ。
その結果として、平成の大不景気と大損害、様々な問題、それが発生した訳だが。
先を想像すると、あまり良い絵が無い。
平成の事態を産んだ人々は、つまり何だか事ある毎に、犯罪者の如く扱われる訳で。
んで、今まで否定してた様な若手が台頭、幅を利かせ、自分らは脇に寄せられる。
「あんたらはさ、もう使えないんだよね」
それを言われる人々、それは或いはまだ、60代だ。
彼らが例え、借金を背負いそれを子供に背負わせざるを得ない様な状況でも、だ。
エヴァンゲリオンが台頭した頃と、それはまあ似た状況かもしれない訳だが。
納得しますか?と言われると、そこはかなり、疑問だ。
問いではある。
それでも当時、「王の権威に預ける」そうすべきだったか?
何となく、違う道を探している。