そう言う意味では、「負けに納得していないだけ」そう言う絵、では、ある。
「神の妻に成れない」と言う事が重要なら?その意図として想像できるのは「自分の意向を通したい」訳だ、が。現状、”神様”の領域では意向を通すには「大賀さん」紛争解決機構、”それ”での「戦争」に勝たねばならない。「そこで通らない」のだ、それは。
…それは、単なる我儘では。
常にこの辺、帰結は一緒だ。「それは貴方の我儘です」良くないです、終了。一応、独裁者が居た頃なら、絶望的なイメージを見せる事で相手が動いた事がある、それは理解出来る、が。現状はかなり難しい、”相手”は人間じゃないからだ。紛争解決機構の性能?結果に問題はない、”そこ”への追及は、無い。有るのは、その結果を如何に覆すか?への執着ではある。
「物理的な壁」を、超える事が出来ない。
物理法則の「外」にある、自身の理想?主観、”そこ”に依存し、”それ”を現実に適用しようとする、その結果で反動があり、ダメージを受ける。「なんでこんな事に!?」私が何をしたと言うのか?!それは、神様に逆らったから、しかし。
”相手”は、それを逆に理由にして、不当を続ける事がまだ、出来るのだ。自分がされた理不尽を他に向ける時、混沌と悲痛は発生する。”神様”はそれをなぜか、抑止しようとはしない…もちろん軽犯罪の重過失として、相手はどんどん、その信用?にマイナスが載っていくのだが…、しかし。
先の例に登場した「女性」それは、或いは”ゲーム機”なのかもしれない。古い、シングルタスクの。1CPUとシングルタスクなOS、それによる「一つのゲームしか動いてない」ファミコンの姿。それは、もう先が無いのだろうか?”それ”を好きだった人々の願いは消えてしまうのだろうか。そこには或いは、総体として一億円を超える「同意」それは、ある。幻として無視して良い訳でもない、のだろうか。
しかし、古いゲーム機の頃は、独裁者が容認された時代でもあるのだ。世界一つに動いているのはその時、”1つのルール”である。究極の一夫一婦?それが、そのゲーム機には具現化していた頃、そこにはある意味で自由があった、アーティストの理想は、その弾幕を超えた先に具現化するのである。