先に書いた、「とあるハジメとユエと香織の話」。香織の行動原理は語る必要が無いのだけど。問題はその結果、ほぼ関係ない、自分を含めた他者は、その「同じだけの期間」、一応表現だ、”同じような立場”に置かれた、訳だ。
その苦痛は耐えがたいと言うか、断じて許容できる物では無い訳だが。
「何故そんな事を?」を、今更問うのは意味が無い。とにかく憤りの集中はある、そこにその、余計な野ウサギさえ居なければ起きなかった話だ。野ウサギの立場にある人々には理不尽この上ない、が。ともかくそこに「王の権威」が居て、理想の上ではその存在は「理想を歪める存在」でしかなく。何かの理想を具現化しよう、その時、それは間違いなく、排除すべき障害だった。
「その存在にしか売れる物は創れない」のだ。
この存在を放置する時、”そこ”に平等は存在しない。極論化する果てに、女性は時々歪な行動パターンを見せたりする、或いはこれもその一つで?そして幸いだろうか、まだ致命的な状態には”寸で”で成っていなかった、らしい。ともかくその後、「王の権威」と「中華思想の皇帝」、その対立が始まる訳だが、しかしその前に王の権威、それは何をしていたか?と言うと、「個人でも何とかなる筈です」そんな理想を掲げ、ある意味で独裁創作を売らん、その試行錯誤を続けていた。今言うなら?それは徒労でしかないしかし。「王の権威」が求めるのだ、他に否定できる存在など居ない。様々な事情で、当時の世間全ては、その存在しない利益性、それを目指し走っていた。
その頃はまだ、この「香織」はほぼ、何の悪影響も見せていない。
或いは単に、「中華思想の皇帝」その側で、その言う事を聞いていた、だけだ。
「王の権威」を排斥する、それは自身の過去の遺恨が間違ってた訳じゃない同意でもあり、実際に自身の上位と言える存在からの要求であり。或いは、「かむろぎ」その組織?が発足する上でも、そこに余計な介入は、恐らくは…していない。今の把握から考えると?握っていたのはスポンサーサイドの権限だけで、内容の是非までは踏み込んでいない。単に「中華思想の皇帝」と、何かの目的が一致していた”だけ”だ。
「王の権威」を、閉じ込め続けねばならない。自分らの生活を守る為には。
この存在が直接的な悪影響?を見せたのは、或いは今回?が始めて…かも。スポンサーサイドとして、利益性それは絶対に必要だ。それを否定してまで拒絶する、それは相当の話で。その原理に成ったのが、「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえ」その主張ではあり。そこに或いは、そのスイッチが有った?と思うと、何だか重い話がここに有り。
そしてあまり、他人は関わらない方が良い気がする訳で。
状況は改善し、良くも悪くもその大損害の結果、この責任問題の末に、一応の打開?ともかく問題は見えた、訳だが。結果オーライではある、そもそも「信仰の問題」だ。大衆は神である?
それは違う。
そんな反論には、異様に重い否定が歴史と共に、山に成っていただけではあり、それに立ち向かわねばならなかった時、何かの制約は発生した。パンドラの箱を開けるがごとく、あらゆる厄災の原因がそこには眠っていて。それを改善する事が出来るのは「王の権威」しかないのだが。
すまん、家内がもう関わるなと。
色々と、それで良いのか?は謎だ。ともかくそこは、問題ある弱点には成る。自身の信仰する神様は、この問題に対して撤退を許さなかった、だけで。ともかく状況は次第次第に、改善はしている気はする。ゲームセンターに客が居る、それは、大いなる吉事だ。
この位の負債は覚悟の上で”それ”を背負った筈なのだ。
そう言う物だ、としか。
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