今日も文章だけだと寂しいので昔のpv探して貼ってみました!
OK啦!なんかめっちゃコミカルなことになってるこのPV!! そしてどことなく低予算感たっぷりで
メンバーがより近いところに思える笑
戀愛ing
借問衆神明 これこないだのZeppで歌ってくれたやつだ!!
この2曲のPVは今回の15周年つぶやきににぴったりかな~ 五人でわいわいやってるのが
楽しそうだぁ~。こうやってできるんだからやっぱりみんなに愛されるはずだ!
さて、文章の続き! 今日は 1996年...の段落より
1996年に第一回野外コンサートが誕生した!美術館の前に数千人のお客さんが集まって
彼らはバンド本来の支持者だったんだけど、大部分はただはじめてここへ来て新鮮な音楽をたのしむとそういう
奴らだったんだ。世界の堅苦しさがちょっとだけ軽くなった!二年目の念頭に僕たちはまた新しく会合を開いて
更に忙しく大変な広告を運んで協力して連絡を取ってくれるバンドを探した。この時は大安公園の音楽局で
MTVと民視がコンサートの全工程を録画したのをを探して転送して更に多くの人に音楽を見たり聞かせたりしたいと願った。
それで名前を挙げてくるバンドも更に多くなって活動は一日から二日に延長された。音楽機材の会社は延長料金も
取らずサポートしてくれたんだんだけど問題がひとつあって、それは一晩中誰が機材を見てるかということ。
誰ができると思う?本当にごめん、アライアンス(主催者)は人手不足なんだ...
それから僕はこの熱を注いだ数ヶ月の中にもっとも深い思い出があるんだ!!
5月にならない頃そうだな~もう一枚厚いジャケットを着なきゃってそんな時期だったな。
誰もいない音楽局の前はとても静かであるといえば公園にあるいくつかの灯りが照らしてるくらいで
寂しい感情が更に大きくなった。一人で、僕は一人で長いすに座り僕の周りに百という大群になって
襲ってくる蚊の攻撃もとっくにあきらめて、眠ることもできず、いつ何時誰かがやってきて音楽機材を
どうにかしちゃうんじゃないかと恐れながらアライアンス(主催側)がお金を支払い終わるまでは
引き受けて帰るわけには行かなかった。
(ってあれ?やっぱり阿信の兄貴 請け負い業者になった??しかもたぶん御奉仕くん 第二弾!!)
1997年野外コンサートのその夜、僕の目はぼーっと何時間か前の異常なまでの盛り上がりを
見つめ、そして今誰もいないステージに居てあの夜いろんなことを考えた、自分の未来
バンドの未来なんかを。はるかずっと後になって誰か僕のこと覚えててくれるだろうか?
この寂しい星でかつてこうやって生きていたってことを? あの年の野外コンサートの皮切りは
五月天の天の字のトップバッターでの演奏だった。
(うむ?? もしかしてこれがバンド名の由来なのかな?Wikiみてみたけど由来まではさすがに書いてなかった~
そして気づく。昨日訳した部分はここへつながってきたのだ~。てっきりつい最近の話かと..
失礼しましたヾ(_ _。)阿信のデビュー当時のお話だったのですな)
五月天の物語はその後ひとつの支流になって 華人バンドの歴史にインポートされた
2000年のゴールデンディスク賞授賞式では僕たちと拖拉庫,四分衛と一緒に最優秀バンドに
入った。乱弹がこの賞を受賞してボーカルの阿翔がトロフィーを頭の上に挙げて天を仰いで
天まで届くような勢いでこの賞を勝ち得た者は一言「バンドの時代がきたぜ!」と言った。
僕たちは彼の背後に立って彼の言葉に動かされバーっと涙が落ちてきた。
そして僕たちはこんなバンドが一つ一つ賞を取っていけばきっと成功するんだって思ったんだ。
隔年、ゴールデンディスク賞はすぐに優秀バンドを増やして、すぐに僕たちは感激したんだけど
これまた残念な結果をもって家に帰る事になっちゃったんだよね。2002年の最優秀バンドも
まただめで、その冠を獲得するにはもくもくと10年努力して、社会の議題の深刻なところを
解決して引き渡すようなバンドに身を投じ、テレビの前の僕たちとテレビに出てる
老舗バンドの刺客と四分衛と一緒に拍手喝采でお祝いして、自分と同じような気持ちで味わった。
1976、13、tizzy bac、旺福、宇宙人、八三夭、魔幻力量、...,だんだん独自の方式で表現するバンドが増えてきたり
レコード会社とのコラボもしたりして自分の楽曲を発表するようになった。僕と怪獣も前に滾石レコードにいて
アイデアを持った製作人をバックアップするよう努力して、そして一歩一歩 将来更に多くの音楽を楽しむ若者が
聞いたものが、そして彼らがゆっくりとこの世界を変えて行くだろう。
そしてこの音楽を愛する人たちが歴史を残していき世界を変えて行くんだ。
五月天がこの小さな小さな支流は歩みを止めず依然として長い歳月の間しきりに走り続けている。
13年内に8枚のアルバムを出し、6回の巡回公演を行った。距離遠くはじめての演出の夜から丁度15年
になった。僕はロンドンから香港に向かって飛んでいて深圳を行ったりきたりして後日やる「ノアの箱舟」
の新しいコンサートの準備をして、見込みとしてはアジア全体で歌ってと更に鳥の巣で2晩占拠する。
2014年五月天はまた東京、ソウル、ロンドン、パリ、アムステルダム、バンクーバー、トロント、ニューヨーク、
シカゴ、ヒューストン、サンノゼ、ロスで 熱狂する。
そして一人の個人としていくつの15年をもつことができるのか? このひとつの15年は僕にとっては すばらしい!
前に言ったけど:僕に支点をくれたら一本のギターで地球を持ち上げるって。地球は重たいし、彼×は重い、
だけど ぼくはずーっとアルキメデスが言うのを信じている。もし君の手の上に
一本のギターがあったとする、僕は君に支点を渡すそしたら気味はこの地球を持ち上げることができるんだ。
最後に、、僕は 君たちこそがもっともしっかりした偉大な大きな支点なんだと、、、。ここに言う。
誕生日おめでとう! 乾杯!
といったところで全部終わった(^◇^)
やっぱり難しくて訳しきれなかったところとかどの単語がどこへ掛かっていくのか
ヽ(´Д`なところも沢山ありましたが。。阿信のやっぱり自分たちの後を継ぐ
若者たちに何かメッセージ残したんでないかなと。やっぱり人間努力は必要だし
自分からアクションおこして行かないと、そういったチャンスにすらめぐり合えない
ってこともいいたいところなのかもしれないなって、ただ口を開けてたって
何も変わらないしおいしいものも落ちてこないぞとあたしは思ったり。。
私も今回こうやってブログに落としてみたけどもこれによって
あー、もうすこしちゃんと勉強したいなとか思ったりも。。
やってみることで見えてくるものもあるし。。
と長くなりましたが~。阿信はいっぱいいろんなこと考えとるんだよ~と
感動のままに終わり!!まっす!! 晩安