今日は、昨日の三立の記事にする~。長いけど頑張ってみよう~
全部まるまる訳すのはちょっと難なので、かいつまんで要約いたします。
記事の冒頭
「上個世紀末...」これ1900年代末ってことですかね~。
その当時の僕たちはみんな若かった!沢山の音楽を口にし、幻想で溢れ
ギターを背負った野郎たちは絶対に世界に理解されてないグループだった。
その年代は、ネットもまだダイアルアップ回線で→あ...懐かしいな。。そうでした。
今みたいにサクッとつながることなんて夢でした~byzeniyu談
録音室はめっちゃ高くて、超少ない舞台での演出、そんな音楽グループが
一生これで飯を食っていくなんて到底不可能だ、
...それはいつもいつも先輩に呟かれ、同年代からは嘲笑されるそんな時代だったんだ。
「君たちはどうしてまともな事しないのか?」といつもこんな風に言われちゃう年代だった。
阿信は「ちょっと阿Qの僕たちは依然として別々にバイトをしてお金を稼いで
やっと4トラックカード式のレコーディングシートを買って、学業をしながら
バイトとの中でごくごく簡単な機材を買って、一枚目のデモサンプルを完成させて
ありえないレコード会社へ投函した」これが最初のレコード会社かな?
※阿Q→人の名前。大陸の「阿Q正伝」に登場する主人公。
彼は、本名すらはっきりしない、村の半端仕事をしてその日暮らしをする
日雇い ということなので、五月天もちょっと、そんな感じだったのかな。学生でしたしね。
「そのあたりの年内は僕たちは一曲一曲歌を作ったものを一つ一つの
ライブで歌い、千とも万とも言えない冷ややかな目を溶かしていけるか
無数の熱い皮肉を納得させていけるのか試した。
そんな百~千廻った鍛錬と奔走したのちの五月天は
やっと君たちの前に歩きたどり着いたってことなんだ」
これは分かる--。どれだけ努力したのか知ってるのかって?
あたしはここで言いたい~
誰だってみんな苦労してやってるのに。。
実はこないだのユニバの閉会式
youtubeでもめてましたけど、ネット民。人が努力して作り上げた閉会式に
お粗末だの、見れねーわ的な発言に、あたしは阿信の先日の発言を思い出したよ。
ぶっつけ本番なんてありえない。努力の上に成り立ってるのだぞ!!
ほんとでしたね。
さて、それは置いておいて、次はなんて書いてあるのだ?
「どの人の心の中にも死守したい小屋があるんだ」そうで。阿信が言うに、
いつも世界の孤立した時はいつでも心の中にその小屋が出現する」
「君と僕の心の中には一抹の理想やビジョンをあきらめるな!っていう
のがあるけど、この現実の世界の人々はみんな各種いろんな理由で
君が無理にその小屋を出るか試し、現実へ戻そうとする」
ってのが、MVのあたりですかね~。大人はみんなして無理だ~
現実を見なさい的な感じの出来ですが。。
少年は四面楚歌の攻撃の中でも始終ギターをぎゅっと
握りしめて手を離さない、というこの一連の現実と幻想の融合な感じに
音楽がどんどんと情景に合わせて激高していくというね--。
阿信曰くこの「成名在望」は
ほとんど音楽の段落の重複がないようだけど
現実の部分と抒情的な内容が歌詞の中の
エピソードに織り込まれているので、MVの構想は簡単なものではなかった
そうですよ~
そしてこのMVは単に五月天の事を歌った曲ではなく
四面楚歌になりつつも夢をあきらめないみんなへという
思いも含まれているようです。
とすると、。君の小屋はなんだ?私もそういう世代なんでね~
親がもれなくレールを敷く的な。。台湾なんかも親第一!な部分が
あるのかなと思うので、そこを説き伏せてとなるとほんと大変だと思う。
今日は久しぶりに文が長くて途中自分がどう訳してるのか?になっているという。。
私の小屋は台湾旅行かな-、ここは死守!(笑)