ちょっと前の記事ですけど、前に書いた石頭さんのことが出てきたので~
なんと。五月天の瑪莎君本を出版しました~《昨天的孩子》昨日の子供という
本ですが、これは自己と音楽の間のいろんな過去を記録したものです。
それで、その本を出版するよ記者会見で出たんですよ~石頭さんの話~
《台北女子圖鑑》これですよね~。結構ね激しい感じだったんですよね
演技が~(笑)やっぱり、瑪莎君も我慢できず速攻チャンネルまわしちゃった
ようで「めっちゃ柔軟性高い!これはメンバーの間でも知りえない部分だね」
それと瑪莎君曰く、石頭さんと怪獣さんは演技についても音楽に負けじと
劣らぬエネルギーを出せるという~。
あと動画では、かっこよくないとダメだし、体つきも良くなきゃダメだしね~
僕なんて無理無理~。と言ってますが、もし石頭さんとの相手だったら?
と聞かれて「むろんお断り!」www
それとアルバム制作の件。
瑪莎君曰く幾度か五月天のアルバムでの会議場で、1曲を決める場合
歌詞がついてないそうで、その場でいろいろみんなでどうなのか揉むそうです。
だけど瑪莎君は「阿信の書く歌詞はめっちゃよくて、心配ない」
と言ったんだけど、だけどまさかの
阿信は当時「みんな責任を歌詞に載せるなよ~」と。その時阿信を瑪莎
君は怒らせちゃったんだけど、後で阿信が解釈したのは「僕のどこが
怒ってるって?僕はただねみんなの「怒る」に対しての定義は違うって
ことを言いたかっただけなんだよね」と。なるほどね、阿信としても
負担が全部歌詞にくるともなると、こういう事にはなっちゃうのかな
さて、新書の中では少年期から今の音楽の道を走り抜けるあたりを
書いているのですが、瑪莎君は前はとても人様が自分が書いた本なんて
読みたいとは思わないだろうなと思ってたそうです。さらに自分が
こういう五月天のメンバーになったというこの地位をシェアするか否か
そのへんも自分の中ではあいまいで、奥さんが原稿を見た後に
「あなた今いくつ?どんな記憶禄を出版するの?」とツッコミを
入れられたそうで。でも後になって音楽の影響力と過去は
違うものだとだんだん気づき「僕はただ六年生に成り代わって当時のの記録を
書き留めてもいいかなって、それが五月天を好きだというのじゃない
にしてもまあ、どちらにしても感動というものに共鳴するものだし
音楽の方式を過去に戻って探して聴いてみるのもありだなと思ってさ」
でで、どうもやっぱり当時はお父さんも音楽の道へ進むのは
反対していたっぽいですね、、足をへし折られるかと的な。。
でも高校の頃になって音楽の魅力を意識しだして「もし一曲の歌が
人を変えることができるとしたら?俺はそれができるのかも?」ということで
バンドを続けることに。で当時、すでにギターは二人、ドラムもいてボーカルも
いたので、ベースやれよ的な。。そんなんだった記憶。。
でで、お子さんが生まれて父親になった彼は、子供が音楽の道へ進みたいと
いうならば、応援するよと。怪獣さんのところもかな~