BUZZ RICKSON'S バズリクソンズ
Memory of Japan
G-1 "SUKA" Embroidered Lining
1950年代、日本に駐屯した兵士に人気だったのが基地周辺に点在していた刺繍店であった。
休暇等を利用してはその店を訪れ、兵士達は思うがままに刺繍ジャンパーをオーダーした。
当時、大量生産化が進んだアメリカには一着からの刺繍やパッチのオーダーを引き受ける業者は殆ど無く、一方の日本では多くの刺繍店がオーダーを引き受けお客である米兵を歓迎した。
休暇等を利用してはその店を訪れ、兵士達は思うがままに刺繍ジャンパーをオーダーした。
当時、大量生産化が進んだアメリカには一着からの刺繍やパッチのオーダーを引き受ける業者は殆ど無く、一方の日本では多くの刺繍店がオーダーを引き受けお客である米兵を歓迎した。
日本の刺繍は、米国には無い卓越した手振りの刺繍技術が織りなす立体的で写実的な美しさも大変魅力的であり、また、兵士からすれば破格の値段でオーダーが出来た。
こうして当時多くのスカジャンが誕生し、米兵達から本国へ持ち帰られたスカジャンは頻繁に袖を通すほどのお気に入りの一着となるのだが、いつしかスカジャンはほころび始める運命を巡る頃、大胆にも刺繍をはぎ取り、愛用するフライトジャケットのライニングに縫い付けた。
こうして当時多くのスカジャンが誕生し、米兵達から本国へ持ち帰られたスカジャンは頻繁に袖を通すほどのお気に入りの一着となるのだが、いつしかスカジャンはほころび始める運命を巡る頃、大胆にも刺繍をはぎ取り、愛用するフライトジャケットのライニングに縫い付けた。
過酷な任務や激しい風雨に晒され、厚く吹き付けられたG-1の塗料が剥がれ落ちてもなお着用し続け、脱いだときが勝負の頼りがいのあるこのジャケットを手放す者はいなかった。
前身会社は生地貿易を行っていた「港商」 (港商は1965年に解散) 。戦後まもなくスカジャンを作り始めた会社で、ブランドテーラー東洋によるスカジャンは、1960年代当時、米軍PXへの納入シェア 90% 以上を占めたこともあるそうです。
当時を知るメーカーさんだからこそ、語り得るストーリーですね。
ほんま、かっけー!!
在庫数に限りがありますので、お早めにおためし下さい。