沖縄県名護市に住むダンプ運転手の男性=30代=の朝は早い。2月上旬、まだ薄暗い中、家を出発した。市内にある車庫に到着すると早速、10トンダンプに乗り込む。本島北部にある砕石場で資材を積み、駐車スペースで1時間ほど待機する。その間、ブレーキランプや反射板などに汚れがないかくまなく車両をチェック。運転手が集まるミーティングで、米軍キャンプ・シュワブに資材を運ぶ時間が伝えられた。
強制排除、日常の光景
午前9時20分すぎ。ダンプ複数台で砕石場を出発した。時速50キロ。離れないようゆっくりと進む。途中、50台以上のダンプが列をなしていた。男性のダンプが列の最後尾に付く。「ここからは県警の誘導で進む」。やがてパトカーが現れた。
ゲートまで残り約1キロを切った時、突然、ダンプが止まった。「機動隊の強制排除が始まった」と男性。「いつもの光景。だいたい10分くらいしたら進むから」と待機した。「違法な工事に加担するな」。反対行動をする人たちが声を上げる中、指定された午前10時ちょうどに車列が基地に入る。男性のダンプも、淡々と進んでいった。
2月上旬の別の日、ゲート前では座り込む人たちが強制排除されていた。その中に、那覇市の上間芳子さん(73)の姿もあった。
週に5日は辺野古を訪れる上間さん。2014年以降、もう1200回ほどになった。「1日1万円もらえるなら家が建つ」。ゲート前で活動する人に日当が支払われているというデマを、笑いながら否定する。
この日もいつものように自宅で弁当を作り、午前9時前に那覇市の県庁前で貸し切りバスに乗って、ゲート前にやって来た。
「子どものためと言うが…」
名護市のダンプ運転手の男性=30代=が知人の紹介でこの世界に飛び込んでから、約15年がたつ。その間、公共工事を受注できるか否かで生活が左右された。「基地はなければないほうがいいに決まっている」。だが、基地建設で仕事が生まれているのも事実。「公共工事がない時期に基地建設の仕事が入ってきた。これで生活がやっとよくなると喜んだ」と胸の内を明かす。
「反対する人たちは『未来の子どもたちのために基地を造るな』と言う。それは分かるが、今は現実問題として自分の子どもを食べさせることに必死。子どもの未来がなくなってしまう」。男性は今日も父親として、子どもたちのために辺野古に土砂を運ぶ。県民投票には、行かないつもりだ。
忘れられない下士官の言葉
米軍キャンプ・シュワブのゲート前に通う上間芳子さん(73)の原点には、自身が目の当たりにした「戦争」の記憶がある。
1964年、高校を卒業し、県内の米軍基地内でクリーニングの受付の仕事に就いた。ちょうどベトナム戦争が始まろうとする時期。やがて戦争は泥沼化し、多くの米兵が犠牲となった。上間さんは戦地から帰ってきた兵士たちを見た。「生きた目をしていない。何があったか分からないが…」。戦争の恐ろしさを肌で感じた。
仕事を通して米兵たちとも親しくなったが、ある時に下士官から掛けられた言葉が胸に刺さる。64年の秋のこと。貸してくれたテレビで開催中の東京五輪を見ていると、下士官は「自分たちが来てるから見られるんだよ」と言った。上間さんは腹が立った。「沖縄の人は基地を望んでいるわけじゃないのに」
あれから半世紀ほど。キャンプ・シュワブゲート前に座り込んでいた上間さんは、いすごと強制排除された。そんな中でも、自身を運ぶ機動隊員たちに話し掛ける。「彼らも県民。基地を造ってほしいわけじゃない」と思うから。相手にも笑顔がのぞいた。
怒りを前面に出すより、淡々と行動するのが上間さんの流儀。「力を入れ過ぎると、心が折れちゃう」。ダンプの2メートル以内には近づかないという自分なりのルールも定める。
この日は午後3時ごろから3度目となる資材搬入があった。座り込み、強制排除が終わり、上間さんはバスで辺野古を後にした。自宅近くに着いたのは午後5時半ごろ。夕食を食べて、ニュースやインターネットを見て、一日を終える。そして、また辺野古に通う。(「県民投票」取材班・比嘉太一、岡田将平)
(沖縄タイムス)
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いつも思う。
『生活のために仕方がない』と主張する人がいる時に、基地反対を叫ぶ者が黙ってしまう場面を見て。
基地の中で働く者、基地の周囲で働く者、そういう人達が、『仕事がなくなる』と言うたびに、反対する事が身勝手のような雰囲気に包まれ、反対運動が萎縮する。
ホントに、反対運動は身勝手か。
沖縄の人達は、優しいから、人の痛みが自分の事のように感じられるから、そういう『基地で飯を食っている人達』の生活の心配までしてしまう。
でも、
ホントにそうか?
『基地で飯を食ってる人達』の生活を守るために、その他の沖縄県民は妥協しなければいけないか?
私は違うと思う。
こういう状況が、沖縄に基地を押し付けていいんだという本土の身勝手な考えを作り出しているんだと思う。
『沖縄は基地がないと困るんでしょ?』
『基地で飯食ってるんでしょ?』
『基地で飯食ってるくせに、基地が無くなると困るくせに反対を叫ぶのは、ごねればもっとたくさんお金が貰えるから、騒いでるんでしょ?』
『美味しい思いしてるくせに、ワガママばかり言ってんじゃねーよ!』
『そこまで逆らうなら、沖縄にはもう金を出すな!』
『優遇され過ぎなんだよ。沖縄は切り離してアメリカにくれてやれ!』
こういう無礼な書き込みは、つい最近までネット上に溢れていた。
沖縄の人達が、正しい情報を書き込んだり、時にはこういう無礼な輩と激しく闘ったりした結果、こういったデマはほとんど消えていったが、いまだに同じような事を書き込むバカが完全に消えた訳では無い。
『基地がないと困る』と、当然の権利であるがごとく主張する人は、確かにそうなんだろう。
基地がないと食ってけないんだろう。
しかし、
キツイ事を言うようだが、
そういう人達の方が『身勝手である』と私は思う。
職業は選べる。
あえてその仕事を選んだ人達の身勝手に、沖縄の大多数の人達が遠慮する理由はないと、私は思う。
以下の記事が、この普天間基地の移設の問題、辺野古新基地建設問題へとつながっていく。
その発端となった事件である。
これを見ても、『食っていくために仕方がない』と言えるのか……
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1995年9月、米兵3人は車で基地外に遊びに出掛けた際に、沖縄本島北部の住宅街で買い物帰りの小学生を発見。無理やり車に押し込み、ガムテープで目や口をふさぎ、手足をしばるなどして、約1・5キロ離れた場所まで連れて行き、車内で乱暴した疑い。
米軍当局が3人を基地内に拘束したため、県警は逮捕状を取って身柄の引き渡しを求めたが、日本駐留米軍人の法的地位などを定めた日米地位協定で「日本側が起訴するまで米軍側が身柄を拘束することを認めている」ことを理由に拒否された。のち、那覇地検は逮捕監禁と婦女暴行の罪で3人を那覇地裁に起訴。米軍側は3人の身柄を日本側に引き渡した。
この事件に抗議する「沖縄県民総決起大会」が10月に開かれ、会場には8万5千人(主催者発表)が集まって、日米地位協定の見直しや基地の整理統合などを求める抗議決議を採択した。 【時事通信社】
この少女や、その親御さんの苦しみを考えた時、『自分の子供を食わせていくために米軍基地は仕方がない』と言えるのだろうか?
これが自分の子だったら?
ダンプを運転して可愛い子供にご飯を食べさせるために働いて来たが、ある日突然、その子が米兵に襲われたら?
食うためなら、どんな仕事も仕方ない……
こういう考えは、極端になると、ヤクザでも人殺しでも、自分の子を食わせるために仕方がない……
という理屈になる。
さて、『身勝手』なのはどっちか?
冷たく聞こえるかもしれないが、言いにくいことを、あえて書いた。
戦争に繋がる基地建設が、『食っていくために仕方がない』とは、私は思えない。
沖縄の人が嫌がる基地を、アレコレ理由をつけて正当化し、無理やり造る行為は、どんな美辞麗句をならべたところで、正しいことには決してならない。
身勝手な政府と、その利権を貪る輩は、沖縄へのこれ以上の基地の押しつけを即刻やめるべきである。