いやはや、世も末ですなあ~(人まねはやめろ)
今更ながら、50年近くも前の国会特別委員会の証言を持ち出してみても・・
いや、ユーは中古(ちゅうぶる)を使うからイイッカ
ユーチューブルですよ、アナタ。
斉藤議員はたしか、TDKの創業者だとか?
今はあの世でしょうか?
当時の氏の獅子吼を、ちょっと脚色してみました。
「どちらも博士級の人の主張ですよ。どちらが正しいのか実験をしてください。といくら言ってもやらない。なぜ、やらないのか? 公開実験をして是非を正せば済むことですよ。それをやらない。費用はこちらで出すと言っているのに。結局それでもやらない
本当に治せる医療が確定したら、どれだけ人名が助かるか・・そして、医療費もかからなくなる。今の癌治療に効果が出ていないのは確かで、それは年々増加しているという。それなら新しい医学論で治せる医療を検証することが必要でしょう。
その検証には公開実験をすれば分かることです。
その実験で否定されるなら、それも科学ですから、また別の考え方に移れる。
その前提としての必要な公開実験ですよ。
それなのに、厚生省も医学界もやらない。
やらない理由はいったい何なのですか?」
斉藤議員の獅子吼はこの様なものだったのでしょう。
しかし、その公開実験は半世紀も経った今もやられないようです。
その理由は?
簡単ですが、根が深すぎるようです。
それは医療界と言っても、膨大な組織となって学者、政府、議員、産業(医薬だけじゃない壮大な世界的産業となっている)・・・そして・・・
これを土台からひっくり返すことになるからですね。
どうしても、敗戦を認められないという敗戦間際の国のように、一億総玉砕!まで思考した大本営のように、「もう行くつくまでは行くしか無い!」という姿に似ているのです。
間違いが分かったら、早いほど引き返した方がよい
それは登山でも研究でもなんでもそうです。
何百年かかって出来上がったのだからモッタイナイ
などというマヌケナ話じゃないのです。
自分だけじゃ無い、愛する(愛さないでも)家族や友人、知人にまで生命を握っている医学だからです。
気づいたときにゼロに戻ってやり直さないと、犠牲者が気の毒すぎるのです。
しかし、その犠牲者となる人たちさえも、じつはそれまでは「同じ穴の狢」お仲間だったということになりますが。
そんな話を50年近く前の国会特別委員会の証言から思い出してくだされませ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます