栃木県に出張に向かい、ホテルで「ザ!世界仰天ニュース」を見た瞬間、涙が止まらなかった。
若くして逝去したプロ野球・福岡ダイエーホークスの投手、藤井将雄さんについてのエピソードを紹介した。
以下サイトから・・・
藤井さんは気迫あふれる強気なプレーで、1年目から活躍。
1999年、ホークス悲願の優勝に貢献した、中継ぎのエースだった。
藤井さんが体に異変を感じたのは、日本シリーズの10日前のことだった。医師はすぐに入院を勧めたが、「チームに迷惑はかけられない」と試合に登板。ホークスはチーム創設以来初めての日本一に輝く。
優勝パレードの翌日に入院し、精密検査を受けることに。
その2日後、病院から家族へ、藤井さんが末期がんで余命3ヶ月であることが告げられる。
家族は「野球ができなくなるとわかったら、生きる希望を失う」と藤井さん本人には隠し通すことを決断し、別の難病名を伝えてもらったという。
球団には藤井さんの病状を伝えないといけないが、そうすれば来季の契約が結ばれることはない…。そこで家族は当時の王貞治監督にあるお願いをした。「ウソでいいので、契約更改をしていただけないでしょうか。形だけでいいんです」
家族の願いが通じたのか、来季も契約更改をすることになった。
そしてそれは正式な契約であり、しかも年俸は倍増だった。家族との面会の際、王監督は「何も心配しなくていいですよ」と声をかけたという。藤井さんは「6月に戻ってきてくれればいいから」という監督の言葉を支えに、治療に励んだ。
藤井さんの気迫は病気に勝り、2軍で登板をするほどの奇跡的な復活をみせる。しかし6度目の登板直後に倒れ、緊急入院。症状はますます悪化するも、藤井さんは病床から仲間を気丈に励まし続け、チームとともに戦った。
ホークスはパ・リーグで再び優勝。
王監督を胴上げするシーンで、親友の若田部健一投手が藤井さんの背番号を付けたマスコット人形を掲げる姿があり、それを病室のTVで見ていた藤井さんは涙したという。その6日後、31歳の若さでこの世を去った。
VTRが終わると、スタジオではすすり泣きの声があがり、中居も感極まった表情を浮かべた。
中居は「やっぱり短いですね、早すぎるかな」と、藤井さんの死をしのび、
同じく司会の笑福亭鶴瓶も「プロ野球の仲間ってすごいよね。それだけお互いがつらい思いをしてここまで来たんだってのがわかってるから」「これはホンマに涙でるな」としみじみ語った。
本当に泣けたな~
けど、流石人格者王さんだ・・・
こんあ偉大な方と少しでも触れ合えた息子は幸せだな~