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小泉八雲

2011年08月16日 17時50分50秒 | 旅行

1850-1904)

随筆家、批評家。ラフカディオ・ハーン(ヘルン)LafcadioHeam。ギリシャに生まれ、生後1年半でアイルランドのダブリンに移、1863年左目失明。農地フランスのカトリックの学校を中退、渡米して新聞記者となり、『タイムス・デモクラット』紙の文学担当者としてモーパッサン、ゾラ、ドストエフスキー、ハイネなどの翻訳・紹介者となる。1890年(明治23)4月に来日し、8月島根県の松江中学に赴任。年末に小泉セツと結婚。翌年11月熊本の第五高等学校に転じ、94年神戸の『クロニクル』紙に入社。『知られざる日本の面影』をアメリカで出版し、日本紹介を始める。96年2月日本帰化し小泉家を継ぎ、小泉八雲を名のる。8月上京し、東京帝国大学文科大学講師となり、英文学を講ずる。1903年(明治36)3月退職。翌年4月東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)講師となるが、狭心症のため9月26日に急逝した。東京の雑ヶ谷(ぞうしがや)墓地(現雑司ヶ谷霊園)に葬られる。八雲は日本人の風俗、習慣、伝説、信仰など日常生活を見聞した体験に基づいた日本研究を深め、日本のありのままの姿を欧米に伝えた。没後、教え子のノートによって大学講義がまとめられ、『人生と文学』『英文学史』などがアメリカで刊行された。ほかに日本人と日本精神構造、社会、政治、宗教などの側面から全般的に考察した『心』『神国日本』の箸作を残しているが、『古今著聞集(ここんちょうもんじゅう)』などの古典や民間説話に取材した創作集『怪談』は文学的芳香の高い作品である。松江市奥谷町に旧居、記念館がある。


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