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井上靖

2010年09月17日 03時17分09秒 | パソコン

               井上 靖

小説家。明治40年5月6日、北海道旭川(あさひかわ)生まれ。井上家は代々伊豆湯ヶ島の医家であった。父隼雄は軍医で、旭川第七師団務中長男靖が生まれた。3歳のとき父母のもとを離れて湯ヶ島に帰り、曽祖父(そうそふ)潔の妾(めかけ)であったかのの手で育てられる。沼津中学を経て、1927年(昭和2)旧制四高に入学し、柔道部選手生活を送る。30年、九州帝国大学法文学部に入学したが、上京して福田正夫の主宰する詩誌『焔(ほのお)』の同人となる。32年京都帝国大学哲学科に転じ、同人雑誌『聖餐(せいさん)』を刊行。36年卒業後、『サンデー毎日』の懸賞小説に『流転』(1936)が入選したのが、機縁で、毎日新聞大阪本社に入社。37年、日華事変に応召して華北に駐屯したが、病気で内地送還となり社に復帰。以後、宗教記者、美術記者を勤め、かたわら安西冬衛(あんざいふゆえ)、野間宏(のまひろし)など関西の詩人と交わる。終戦後、突如あふれるように詩を発表し始める。48年(昭和23)東京本社に転じ、50年『闘牛』(1949)によって芥川(あくたがわ)賞を受賞。

井上の文壇登場後、中間小説と新聞小説の全盛が訪れ、多作に耐えつつ、『あした来る人』(1954)、『氷壁』(1956~57)などで新聞小説家の地歩を固める一方、『異域の人』(1953)などで歴史小説の主題も温めていった。『天平(てんぴょう)の甍(いらか)』(1957)、砂漠の小国の興亡を描いた『楼蘭(ろうらん)』(1958)、ジンギス・カンを描いた『蒼(あお)き狼(おおかみ)』(1959~60)ののち、高麗(こうらい)側から元寇(げんこう)をとらえた『風濤(ふうとう)』(1963)で彼の歴史小説は堅固な年代記的手法を確立し、この手法は、『おろしや酔夢譚(すいむたん)』(1966~67)でいっそう深化され、歴史の運命相を映し出している。さらに、利休の死の秘密に取り組んだ『本覚坊遺文(ほんかくぼういぶん)』(1981)では伝統文化の本質に迫り、歴史小説のいっそうの深化をみせている。また母やゑの老耄(ろうもう)を描いた『月の光』(1969)などの短編で、人間の原存在に触れる動きもみせている。多くの作品が諸外国で翻訳され国際的評価も受けている。

1964年芸術院会員に推され、76年文化勲章受け賞。


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