たまり場ぶろぐNEO

 奈良県在住、天里友香のブログ。
 漫画・ゲーム・同人等のオタク系話題と日常、時々は真面目な話です。

関ヶ原に「首置いてけ!!」⑧

2013-10-23 20:16:41 | 旅行
 翌10月20日。
 この日は朝から結構しっかりと雨。
 Twitterで主催の「本日の『関ヶ原合戦祭り』は「雨シフト」での開催」発表に
納得はしつつも残念に思いながら、大垣を出てまた関ヶ原へ。
 昨日と同じに、まずは歩いて笹尾山に向かいました。
「『原画展』最終日だし、雨だけど混むかな?」とは予想しましたが、
確かに19日に比べゾロゾロ歩いてる一団があったりして
「これは、少なくとも彼らの後か先かで順番がだいぶ変わるかもな!?」と、早足。
 19日より20分ほど早く着いて会場の行列に並んだら、整理券の番号は10番後でした。
 ちなみに、前述の集団は3分後くらいに来たので、
彼らに遅れてたら更に後の番号でした。
「雨とは言え、流石に最終日で日曜日!!」

関ヶ原に「首置いてけ!!」⑦

2013-10-23 08:17:04 | 旅行
 烏頭坂を後にして、19日は関ヶ原を一旦去り、
ホテルを取っていた大垣の、大垣城跡へ行きました。
 大垣城は関ヶ原の合戦の前に西軍が本拠地としていた城で、
中は博物館になっていたのでそれを見学。
 武具などの展示もですが、ここのご当地の話?として興味深かったのが『おあむ物語』の巻物。
 これは、関ヶ原の合戦の時に大垣城にいた女性「おあむ」が、
後に尼さんとなり子供達にせがまれて昔話をする…という形式の話ですが。
(以下、戦国時代の生々しい戦の話なので、
現在の基準ではグロテスクな内容です。
嫌な方はスルー願います!!)


「戦に出た男衆が敵の首を持ってくるのを、女性が受けとって化粧をした
(より身分が高い首に見せるのにお歯黒を塗ったり、
元から身だしなみとして化粧をしていていた首には、化粧直しをしてやる)」
「血なまぐさい生首の中で寝ていた」など、
挿絵共々、リアルな戦国の様子が語られてまして。
「こんな時代に生きてたら、
そりゃ現在人とは死生感そのものが全く違うよな…!!」
そう思いながら見てました。

関ヶ原に「首置いてけ!!」⑥

2013-10-23 08:10:16 | 旅行
 さて。いよいよ『島津の退き口』をたどって烏頭坂に向かおうとしたわけですが…。
 実は、事前に一応は道筋などを調べたわけですが。
「探しかたが悪いのか、ちゃんとした地図だとか見つからない!!」orz
 数少ない手がかりが、地図サイトで見つけた
『烏頭坂コミュニティーセンター』なる建物らしき名前。
 これだけでは、近くの地域一帯が『烏頭坂』と呼ばれてるから付けられた名前かもと不安でしたが。
「行ってみるしかない!!」
 最初は『関ヶ原インターチェンジの東側』なる誰かのブログに書かれていた文面から、
関ヶ原インターチェンジに通じる道なR365を南下してみました。
 ところが、途中から歩道がなくなり、
しかも『烏頭坂コミュニティーセンター』のある地域と直接通じる方角には
道らしきものが地図にも現地の景色にも見あたらず。
「これ…違うんじゃないか?」
 引き返して、もう少し東側に並走する住宅地の中を通るやや細めの道へ。
 こちらの道がどうやら旧街道だったらしく、
南下して行くと道の脇の住宅地の中に『烏頭坂』のバス停を発見!!
「これは重要な手がかりだぞ!!」
 注意深く元の道をまた少し南下して、下った先に『島津豊久の墓』なる石の標識と看板と島津家の旗を発見!!
「ここか!!」
 道沿いに説明の看板があって、その横に丘を昇る階段。
 それを昇ると『島津豊久の碑』がありました。
(標識は墓になってましたが、
墓はお寺に別にあるので戦死した場所の石碑扱いになったそうです。)
 実は、さっきのバス停からも住宅地を通って来れる場所でした。
 つまり、現在は周辺はあまり「当時を偲ぶ」感じでない…ですが。
「それも時代の移り変わりだし、
碑の手入れもされてるみたいだし『よか!』って思ってらっしゃるかな?」
 合戦の様子や武将達の心情を想像しつつ、手を合わせてきました。

関ヶ原に「首置いてけ!!」⑤

2013-10-23 08:06:54 | 旅行
 腹ごしらえが済んでから、近くの『関ヶ原歴史民俗資料館』へ。
 看板から既に相当「関ヶ原の合戦」アピールしてますが、
行ってみたら、合戦はもちろんですが
中山道の宿場町としての関ヶ原の歴史も結構紹介されていて、
なかなか興味深かったです。
 関ヶ原の合戦については、当日の軍勢の動きについての大きな解説パネルがあって、
次に向かうつもりの『烏頭坂』への予習も出来ました。

関ヶ原に「首置いてけ!!」④

2013-10-23 07:52:09 | 旅行
『ドリフターズ原画展』の会場を出たのが、11時を過ぎた頃。
 会場の隣が、石田三成が陣を置いた笹尾山。
「関ヶ原の戦場を一望出来る場所」と言われていることもあり、そのまま向かいました。
 こちらの陣の跡では、晴れてれば「のろし」をあげていたり、矢来の柵が復元されてたり。
「盆地の端の山ってこともあるだろうけど」
かつての合戦の陣らしい様子がありました。
(でも、見晴らしは…正直、矢来が邪魔だし、
あと、木が邪魔で思ったほどではなかったような!?)
 この後、朝は来た道(途中に決戦地とされている場所の碑がある)を通って、
町役場などがある方へ。
 朝は準備中だったフリーマーケットや食べ物の屋台がたくさん並んで賑わってました。
 屋台で、焼きそばと焼鳥を購入。
 地元の人達の屋台だからか、値段も安くて美味しくいただきました♪