《吉松》「最初の打ち合わせの時、伊東四朗さんがいらして。
『大河ドラマは、1回目から観てます』と言われてました。
段々(白河院の息子である)松山清盛が伊東さんに似てきて
恐ろしいくらいだった。」
《柴田》「清盛が30才前半の棟梁になった頃は、
松山さんはどちらを向けば良いかが分からなかったそうです。
その後『病気になり、夢の中で白河院と会う』シーンで
『自分があの位置に行くんだ!!』と意識されたそうです。」
《磯》「清盛の最期のシーンは、巨木が倒れる様に亡くなるんですが、
『思いきりやりたい。やれるように』と松山さんは自分でマット会社を調べて発注してました!!
それを美術さんに話して、マットが分からないようにして撮影しました。」
「で、1回で撮影をやりました。
何回もやると(脳震盪を起こして)死んじゃう。
1回でもクラクラしたそうです。」
『大河ドラマは、1回目から観てます』と言われてました。
段々(白河院の息子である)松山清盛が伊東さんに似てきて
恐ろしいくらいだった。」
《柴田》「清盛が30才前半の棟梁になった頃は、
松山さんはどちらを向けば良いかが分からなかったそうです。
その後『病気になり、夢の中で白河院と会う』シーンで
『自分があの位置に行くんだ!!』と意識されたそうです。」
《磯》「清盛の最期のシーンは、巨木が倒れる様に亡くなるんですが、
『思いきりやりたい。やれるように』と松山さんは自分でマット会社を調べて発注してました!!
それを美術さんに話して、マットが分からないようにして撮影しました。」
「で、1回で撮影をやりました。
何回もやると(脳震盪を起こして)死んじゃう。
1回でもクラクラしたそうです。」