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あみの3ブログ

隠尾城@富山県砺波市庄川町隠尾 令和四年(2022)4月21日

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永禄3年(1560)上杉謙信は、椎名氏を援助し富山城を攻め、更に増山城に逃れた神保氏を追撃して五箇山に敗走させた。
この時の戦渦に巻き込まれたのが隠尾城主南部源左衛門尉尚吉といわれている。鉢伏山の合戦は、その場所が秘境でもあり、資料が隠蔽されてたため諸書に見当たらない。
 城舘の規模は南北29m、東西21mの台地からなり、北側を除く三方が深い谷という天然の要害となっている。台地に沿って池となっているところが堀跡で、南側崖下20mのところに籠城用の飲料水にしたという湧水(城清水)の跡がある。また、詰めの城があった鉢伏山付近は、近年放牧場に開墾された際、土饅頭など無数の塚が発見された。砺波市教育委員会、、、(現地説明版)より


場所は富山県砺波市庄川町隠尾
夢の平スキー場からさらに進んだところ、
または千代ヶ様城がある三条山から林道を進んだところ、
または庄川峡(国道156号線)から国道471号線にて庄川町湯山に向かい、


県道346号線(山田油谷線)から夢の平スキー場に向かい


林道を車で7~8分登ったところに隠尾村に入る分岐がある。


目印は隠尾神社



前回3月15日に来た時には積雪が多くてそれ以上進むことができなく撤収した。



だが!!
そこから城址まではたったの200m
曲がり角の先にあったことは、この時は知る由もなく(;^ω^)




村の入り口に城舘とその末裔の住宅があり、



その先に集落が数軒あったようですが、現在は解体して廃村になっています。





ここで当日の行程を縄張り図で示します。
佐伯先生著、越中中世城郭地図Ⅲより(ブログ管理者加筆)




主郭台地下に建つ城址碑と現地説明板



主郭虎口



主郭(A)



主郭平坦面は一面のカタクリ群生地となっている





中心部にポツンと鎮座する「啼石」


見方を変えると
不思議な形です



副郭(B)
主郭虎口の手前下段にある削平地




主郭切岸
北側


東側



東側段郭



段郭切岸


段郭と言えるか分かりませんが、下段の平坦地
谷部に近いため低湿地帯となっており、居住性は低いと思われます。


段郭下は谷川となっている
そのまま南から西側へと急峻な崖が続く



堀(①)
主郭台地の北側に広がる池(跡)はかつての堀と説明板にあります。


しかしよく見ると、その西側(②)が一段低くなっており、佐伯先生はそここそが堀跡ではないかと指摘している。





隠尾集落一帯を支配していた南部氏は背後にある鉢伏山に詰城を構え、ここ隠尾城が居城だったと考えられており、その詰城を舞台に鉢伏山の戦いが行われたのではないでしょうか。

村の入り口の分岐から県道346号線に戻り、「夢の平スキー場」方向へ登っていくと途中に鉢伏山があります。



鉢伏山から隠尾村方向



鉢伏山山頂
現在は展望台や駐車場が整備されています。



そのまま夢の平スキー場まで行ってみましょう。

途中2ヶ所の展望所と展望台があります


砺波平野の田園風景と「散居村」が一望できます。→こちら



夢の平スキー場
秋には100万本のコスモス斜面を埋め尽くし見事な景観となります。→こちら

雪解けした斜面を焼き払い次のシーズンに備えているようです。焼き畑の跡がパッチワークのような模様となり、まるで北海道の美瑛町のような景観です。遅咲きの桜や八重桜が満開となり、今しか見ることのできない景観でした。













【隠尾城】
《かくりょうじょう》


名称(別名);
所在地;富山県砺波市庄川町隠尾
城地種類;山城
標高/比高;320m/5m
築城年代;15世紀
廃城年代;16世紀
築城者;南部氏
主な改修者;
主な城主;南部氏
文化財区分;市史跡
主な遺構;削平地・切岸・堀・土塁
近年の主な復元等;


※出典、、、越中中世城郭図面集Ⅲ
地図;
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