アンナdiary~Part2

日々のこと。拓哉のこと。

2002年~2004年~TAKUYAな日記~

2008年02月17日 15時25分51秒 | 過去ログ~2011年2月まで

過去の記憶を記録しています

2002年からいっきに2004年まで
私の木村拓哉人生のピークでした。

 

前回は「Drink SMAP」ツアーが始まるまで。。。
TAKUYAな日記は、私の木村君の思いを綴る日記としてカテゴリーを
1つ増やしました。テレビ等のレビューとは違って、私の心の奥の独り言。
今のところ、過去の記憶を記録しています。
今までのTAKUYA日記を読みたい人は、左のカテゴリー「TAKUYAな日記」から
どうぞ


 

裏スマから全国巡業を始めた私。


 

ドリスマは、オープニングの名古屋の他に大阪・西の宮と大阪ドームと
新潟、宮城、福岡、東京スタジアムに行った。
MIJは、札幌以外はすべて参加した。

 


お金と時間に余裕があれば、全公演参加したいくらいの勢いだった頃。
知り合いに、追っかけの人がいたので色々な情報も入ってきた。
とにかく四六時中拓哉だった頃が2003年まで続いた。

 

メンバーが泊っているホテルに泊まり、同じ飛行機、新幹線に乗ったりもした。
とにかくいつも同じ空気を吸っていたかった。殆どビョーキ(苦笑)
いや、私生活で満たされなかった反動かもしれない。



運よく、新潟へ行く時に東京駅で木村君に会った。
向こうの方からファンが取り巻く中、木村君がサングラスをかけて
こちらに歩いてきた。


これが非ファンなら「キムタク握手して~!」とか言えるのかもしれないけど
ファンだと言えないものです。
ただ呆然と横を一緒に歩くことしか出来なかった。
ネットでは背が低いだの、ワキガだの言われて叩かれていたけれど
とんでもない!
私は身長164センチありますが、ヒールをはいても上を見上げる感じだし
とってもいい匂いがしました。
オーラが半端じゃないので、言葉も出ない。
やっぱりカッコイイ



MIJのオーラス宮城スタジアム。
仙台でトヨタのイプサムをレンタカーしてホテルまで行き、会場へも
車で行った。



以前宮城のタクシーの運ちゃんが、宮城スタジアムは税金の無駄遣いだと
言ってたなぁ。。。維持するだけで何億もかかるらしい。
SMAPぐらいじゃない?満員に出来るのは。。。SMAPがしょっちゅー
ここでコンサートやってくれたら維持出来るけど。って苦笑いしてた。

 

オーラスが終わり駐車場から車を出す時に、ひと悶着。
とにかくイベンダーの仕切りが悪くて、車が全然出せない。
新潟のキョードー北陸はいつも仕切りがいいけど、宮城はひどかった。
ここで大人しく黙っていないのが、大阪の友!(笑)

 

何やっとんねん!とイベンダーに電話したり、係員に詰め寄ったり
とにかくすごい!私は、大人しくて何も言えない人なので(え?
大阪の友達を見てると気持ちがいい!好きだなぁ(笑)
しまいには、大阪の友が係員状態で車を誘導していた(爆)
素敵。。。。

 

楽しいライブが終わった。。。
祭りのあとって、何でこんなに物悲しいんだろう。
仙台から東京駅へ向かう新幹線の中で、何故かものすごく寂しくて
足取りが重かった。


 

楽しいライブライフを何年か過ごしてきたけれど
楽しいだけじゃなかった。


チケット入手が年々大変になってきて、以前はFC会員になれば
必ず手に出来たチケットも、抽選で外れるのが普通になってきた。
ライブに参加するまで、ネットと闘う日々が続き。。。チケットが入れば
入るで、仲間との振り分けでゴタゴタするようになった。


あーめんどくさい。

 


ファン同士の派閥も出来た。
他メンとの派閥ならまだしも、同じ木村ファンとの間の確執。


たかがネット、されどネット。
ネットといえども相手は人。
人間関係で出来ている。
難しいな~って思った。


 

殆ど全国制覇をした私は、MIJのライブ以降抜け殻状態になってしまった。

 

それからはテレビで木村君を見ても満足出来ない自分になってしまって。。。


もっと、、、もっと。。。

 

その「もっと」が度を過ぎるとこうなります(苦笑)

 

MIJで燃え尽きてしまった私。
どんなに頑張って近づいても、木村君は遠かった。。。
ファン同士のいろいろなしがらみからも離れたくて
2004年はネットから距離を置くようになった。

 


当時、バスと電車を乗り継いで2時間もかけ品川の会社まで
通勤してた。
都心で一人暮らしをしたかったけど、父が亡くなって母ひとりに
なってしまうので2時間かけて頑張って通いました。
ちょうど体を壊したのもこの頃。。。

 

父のいない寂しさ。
体を壊してどうしようもない不安に襲われて、誰かそばに居て欲しい!って
思うようになった。
木村君は大好きだけど、木村君がいれば楽しいし、頑張れるけど
木村君には寄りかかれない。
誰かに寄りかかりたくて仕方がなくて、、、そんな時、今の彼と出会った
久しぶりに生身の男性に(笑)寄りかかり、喜びを感じた(笑)

 


2004年のドラマ「プライド」は殆ど見てない。
夏のライブもなかった。
この年にライブがなかったのは大きかったなぁ。。。
ネットも殆どしないで雲隠れした私(苦笑)
長年勤めていた会社も辞めた。。。

 

転機だったんだと思う。

あんなに夢中になっていたのにどうしたの?ファンをやめたの?って
何人かの人に言われた。
ファンをやめたわけじゃないけど、燃え尽きた。それしか言いようがなかった。
気力がなくなってしまったんだよね。



昔追っかけをしていた人って、今どうしているんだろう。
私が木村君からフェイドアウトした2004年。
同じくフェイドアウトした友達が何人かいた。
みんな今どうしているんだろう。。。
私は、2005年に木村君へ復活するのだけど。。。



実生活で彼が出来てからは、自分の中でのバランスがうまく取れ
いい感じで木村君を応援出来ている現在。
やっぱり突っ走ってしまうとダメですね。

 

長くなってしまった暇な時にでも、テキトーに読んで下さいね。

私がフェイドアウトしかかった理由を楽しみにしている人が多くて困った
言っておきますが、木村君が嫌いになってファイドアウトしたんじゃないです。
愛が強すぎたから(爆)どんなに追いかけても、木村君は遠かった。
そしてネットでの人間関係に疲れました。。。
でも、私はフツウの恋愛をすることで変われました

 

次回は2005年の思い出・・・再び木村君への思いが復活し
ブログをスタートさせます。
あばたもエクボな時期は過ぎましたけど(苦笑)

つづく。。。

 

では、また(^-^)/~~    


フルスイング 第5話

2008年02月17日 12時24分45秒 | 過去ログ~2011年2月まで

サッカー進学で学校推薦が決まっていた佐伯(佐野和真)が後輩を殴るという
事件が発生。佐伯は、駆け付けたあや(吹石一恵)や高林(高橋克実)にも殴った
理由を話そうとしない。進路指導担当の天童(里見浩太朗)は佐伯を無期停学にし
学校推薦は取り消しに。佐伯は天童を逆恨みして荒れるようになり、彼の親は
天童の辞任を要求する運動を始める。
天童の厳しい処分の裏に隠された深い考えに気付いた高林は、姿を見せない
佐伯を捜して見つけ出す。高林は両親の不和という家庭の問題を抱えていた
佐伯の説得を試みるが、折からの風邪による熱がもとで倒れてしまう。
高林の思いに心を動かされた佐伯は翌日、学校に姿を見せ、次第に元気を
取り戻していく。 ~goo番組ナビ

 

今回も感動して涙出てしまった。゜(゜´Д`゜)゜。

 

今回は高林先生、阿倍先生の言葉に勇気もらいましたね。

啐啄(そったく)同機


阿倍先生の好きな言葉

 

卵の中のヒナ鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時に
卵の殻を内側から雛がコツコツとつつくことを「啐」といい
ちょうどその時、親鳥が外から殻をコツコツとつつくのを「啄」という。
雛鳥が内側からつつく「啐」と親鳥が外側からつつく「啄」とによって殻が破れて
中から雛鳥が出てくる。

雛鳥だけがつついても、親鳥だけがつついても、雛鳥は生まれない。

タマゴがかえる時に親と子、師匠と弟子のタイミングが合うのが理想の
指導っていうこと。
高林先生は、生徒のサインを見て一生懸命殻をつついている。
高林先生は間違ってないと思います。
あともう一息で、雛に会えます。

 


無期停学中で、自宅謹慎の佐伯を追いかける高林先生。
佐伯が何かサインを出してたはずだけど、気付いてあげられなかった自分を
せめ謝る高林先生。


 

こんなに生徒ひとりひとりと真剣に向き合ってぶつかって
行く先生がいるんだろうか。。。
こんな先生ばかりだったらと思わずにはいられない。

 

佐伯が後輩を殴った理由。。。
両親の離婚。。。
推薦入学が決まったことへの嫉妬。


 

「言いたいことはそれだけか、ハッキリ言ってわしゃガッカリだ。
甘えるな~~~~~~~~!

 

何でも人にせいにするな!
甘えちゃいかん!そんなことじゃ道は開けん」


 

川に落ちたサッカーボールを取りにいく高林先生。
スーツが濡れてしまうのなんか関係なく。。。



ここでグッと来てウルルン
BGMがいつもいいところで、いい感じに流れます

 

「これからどう進むか?その道はお前さんが考えていかんや
誰もお前さんにはなれんのじゃから」

 

推薦は取り消された。
もう道なんかねぇ。
天童先生のせいだ。

 

「天童先生はお前さんに恨まれることを百も承知で筋を通した」

 

「お前さん今が正念場じゃ。
ここで全部をひとのせいにして逃げるか
それとも立ち向かうか

ちゃんと道はある!
お前さんにも見えてるんじゃ!

ええか。明日は絶対学校へ来い!」

 

「わしがお前さんのそばにいたいんじゃ。
待ってるぞ!」


 

そして佐伯は自宅謹慎中だけど学校へ来た。

先生方の雑用をする佐伯。

 

終わった後、岡田先生が佐伯にこぶ茶を差し出し
「お疲れさん、これあったまるよ」

あったけぇ

 

この「あったけぇ」の言葉に、あぁこの子は温もりが欲しいんだろうなぁ
寂しいんだろうなぁ。。。って思った。
母親からの封筒に入ったお金が寂しく映ってた。
お金じゃ満たされないのに。。。


 

「こげんこといつまでやらされるんと?
何の得があると?」

 

「得か?しいて言えばお前さんの顔が見れるっちゅーことだじゃ。
ピカピカの未来が描いてある顔が。

お前さんの未来は輝いとるんじゃ」

 

そして集めておいた大学の募集要項を差し出す高林先生。


 

今回は天童先生が最後ものすごく良かった。
これも、高林先生と出会ったからだと思う。
高林先生は、生徒だけじゃなくて先生をも変えていきましたね。

 

「生徒に人気者になるより、厳しいことを言える教師になる方が難しい」
新人の若松先生は、天童先生の下についたことで学ばせてもらったと。

 

「苦言を呈したものは、大きな責任を伴う。
ときにはその言葉は相手の人生を左右しかねない。
人にものを教える資格のある本物教師になることは
なかなか難しい」

 

天童先生役の里見浩太郎さんが素晴らしかったですね。

時代劇のイメージしかなかったのですが、まさかこういう教師役が
こんなにハマるとは。。。意外な発見

 


佐伯のげた箱に置いてあった一通の手紙。
俺、やっぱサッカー続けたい。
大学へ行ってサッカー続けたい。

 

京南大学サッカー部の監督からの手紙。
本試験で頑張ってうちに来てください。
一緒に大学日本一になりましょう。。。と。

 

佐伯は高林先生がしてくれたことだと思ってお礼にきたけれど
これが天童先生がしてくれたことだった。


 

「天童先生辞めないで下さい。
俺、頑張ります!
京南大学一本で狙っていきますから。
ありがとうございました」

 

「戻ってきてくれて嬉しかったよ。
君なら頑張れる。。。大丈夫だ」

 

。・゜゜・(>_<)・゜゜・。ゥェーン

レビューするために何度も見たけど(笑)ここで
涙ポロポロ

 

佐伯は自分で自分の道を決めた。


 

今年度でこの学校を辞めることにした天童先生。
田舎の幼稚園の園長にならないか?
残り少ない教員生活、私のようなものでもお役に立てればと。

 

「教師にとって最良の教師は誰だと思います?

  生徒なんですよ」

 

我々が生徒を成長させるのではなく、彼らが我々を育ててくれるのです。
小さな先生たちから多くのものを学ばせてもらおうと思ってます。

それはきっと高林先生の姿に触発されたからですよ。


 

とっても素敵なドラマなので、毎回言ってますがあらすじを全部
載せたいくらい。久しぶりに良質なドラマを見た気がする。
見逃した人のために、是非再放送して欲しいなぁ。。


とうとう、来週は最終回!
高林先生が癌に!そして。。。。あぁぁぁぁ号泣間違いなしだ(苦笑)

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