おばちゃんの独り言
昨年の今頃、数年来の念願だった「出雲大社に行ってみたい」が叶って、人生の一区切りを成し終えたような達成感を得て、けっこうなご機嫌さんになったっけ(笑)
その後『古事記』にハマり・・・これまた10年ほど前に女優さんによる朗読講演を友人に誘われて見て以来何度となく現代語訳を読もうと挑戦するも、いっつも瞬殺の如く断念してた。でも今回、ラノベ風古事記ってなサイトを見つけちゃったもんだから一気にハマり読みしたわー
「やっとこさ制覇したー」ってな気分になって またまたご機嫌さんな私(笑)
んで、なんか少しばかり“国”というもに対する意識に変化が起きたような気がしてる。
“国”って制度はありがたいんだけど、なんかへんちくりんで厄介と思ってた。(まぁ、今もか?) そもそも“国”ってなに?って、しっくりくる理解が得られてなかった。
これってもしかしたら戦後教育の洗脳に依るものかも知れないって気がついた。
昨年末ぐらいから洗脳が少し解け始めたかもしれない。
戦後教育では、歴史も戦前の日本の姿も、今の日本の実情の見方も、相当歪められているんだなーって。
古事記って 時空間がデタラメに壮大じゃん?登場人物のやることもぶっ飛んでるし(笑) 今の社会通念や常識で考えたら、そもそもの国づくりってとんでもねープロセスを経てるわけで。
今年は皇紀2680年。その神武天皇即位前からの経過を思うと、今もなお まだまだ壮大な“国づくり”の過程の最中なのかもしれないなーと思う。
日本はやっぱりなんのかんの『和の国』に落ち着いていくんだろうな。支配と搾取のピラミッド型社会じゃなくって、バランスよい循環型。調和のとれた和(輪)型。
そうなるのに天皇の存在が実は深いところで大きく関わっていることがチラリと見えてきた。
・・・・・と、大きな声では言わないし、ほんの独り言で書いてみる(笑)
戦後教育にガッツリ嵌められていると見えない“日本国”の本来の姿に愛おしさが出てきちゃってるふうね。
今、まさに世界規模で小さなウィルスに大きく揺さぶられているけど、この経過を冷静に、身の回りの与えられた自分にできることをコツコツ淡々とこなしながら、“ただ生きる”に喜びと感謝を感じつつ過ごしていようと思う。・・・・・・・・きっと次々とハマりものを見つけては、ニヤニヤ、ケラケラ、うひょうひょ♪と笑いながらになっちゃうとは思うけどね、そこは大目にみてね(笑)
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