静浜航空祭に行った。
私も 主人がかつて乗ったという 初等練習機を見たいと思っていた。
静浜基地には 芙蓉部隊記念碑がある。
資料館もあったが ちらっとのぞいただけで見ることができなかった。
主人が 伊江島での芙蓉部隊の戦果や美濃部少佐のことを教えてくれた。
美濃部少佐は特攻戦法を拒否し夜間襲撃によって戦果をあげ、終戦時まで抗戦の態勢を維持していたようだ。
美濃部少佐のことも芙蓉部隊のことも全然知らなかった。
帰ってからネット検索・・・
美濃部少佐は沖縄戦戦略会議において 艦隊司令部が出した練習機での特攻案に対し
死刑になりかねないのを覚悟して反論している。
参考・「彗星夜襲隊 特攻拒否の異色集団」渡辺洋二著に書かれている参謀とのやりとり
芙蓉部隊、特攻せずPART2/2
戦争には どんな大義名分をつけようとも賛同したくない。
戦果がすばらしいといっても 戦果とは破壊と殺人に思えてしまう。
でも その時代にあって、命を懸けて戦ってくれた方々には感謝する。
みんな 必死で一生懸命だったに違いないとは思う。
しかし 練習機をも特攻機として?・・・・・・・静浜基地で見てきた初等練習機を思い出し・・・実際の戦時中の練習機とは異なるだろうけど 素人がみても 無理があり過ぎと思うのに。
思っても言えない時代だったんだよな。
死を覚悟しなきゃ言えない時代だったんだよな。
You Tubeで 美濃部さんの三女が言ってる 美濃部さんの後の言葉
>現代でも通用すること
>難しい事に直面した時
>上からの命令や周りの雰囲気に流されるのは簡単だけど
>自分でそれに迷いがないのか 迷いがあるときには
>・・・・・・
>たとえ難しくても困難があっても 自分が信じる道をいくようにと・・・
今は、自分の信じる事を言える時代になったと思う。 「死を覚悟して」なんてことまずない。
それなのに 私は自分の信じる道を行(生)けず 上からの命令や周りの雰囲気に流されがち。
自分の信じる道に迷ったりもする。
自分のこころを見失う。
自分のこころを信じられなかったり 信じられても行動には起こさないことも・・・
前々記事に書いた
「・・・・でももっと恥ずかしいのは自分の心を信じて行動できない事。」
この言葉の重さを改めて感じた。