昨年来 戦争や原発についてあちこち読んできて 気づいた
あたし地位も知識も知恵もないおばちゃんで
基本的に
アハハ~( ̄▽ ̄~)♪♪♪(~ ̄▽ ̄)~ アハハ
↑ こんなふうに生きてる・・・生きようとしてる
そいでも たまに ・・・いや 結構ちょくちょく・・・「世界平和」を考える
どーして 戦争が起きちゃうのかなー
とか
いったい人間って 何を求めてるんだろー
とかさ
ほんとの幸せってなんだろー
とかね
きりがないのよ
戦争の原因を考えるだけでも 経済や政権状況のこと、エネルギー問題、歴史的背景、環境問題、民族気質・・・・ひーーーー
わたしじゃ到底 解決策を見出すに至りましぇんわ
・・・┐( ̄- ̄;)┌
考えてるうちに そもそも 国家とか政府とかの存在意義に疑問が湧いてきちまうしね
さらに、地球とか宇宙とか ってな規模まで広がっちゃって(笑)
あー 中年女子Yが成し得ることは何一つないわ~
って思うに至る
んで、
私なんかが何か言ったとしても何も変わらないし、と 自分の意見や考え、思いを表現することにストップをかけてるところがある
「理論的に言え」とか「代替案を出せ」なんて言われちゃったりしたら そんなの分かんないしさ
私が知ってることなんて ほんの僅かな欠片だし、そこからの判断なんて思慮浅すぎるから
って思いもあった
しかしだよ・・・確かに私は地位も知識も知恵もないおばちゃんだけど、この世を構成する存在のひとつであることは確かなこと。
存在の一人として この立場での私の思い、意見を表に出していいはずって思えるようになってきた
ってか
『黙ってる』=『反対しない』=『賛成してる』って捉えちゃうんだね 政治やってる人は
都合いいようにされちゃう・・・
それは甚だ意とせぬところでして
分からないなら分からないなりに 分からないって立場での思いを表していかないとならんなーと思ったわけですよ
こういう考え、思いです。分からないところは分かるように努めますから教えてください。そしてまた考えますから。ってなふうに・・・・かな
気づいたのは
私の中で「知識が乏しいことは良くないこと」の縛りが 結構根深かったってこと
そんな自分をさらけ出すのがはばかられていたってこと
批判したりされたりが怖かったんじゃなかろうかってこと
なーんか 縛りや囚われ まだまだ在るね~(笑)
知識があるとかないとか関わりなく 存在としての価値はなんら変わらないのにねー
というか 価値とかってなによ そんなん神様にも決める権限無いわーですよ
すべてが 幸せを生きようとしているこの世
もとをただせば 無苦集滅道 無知亦無得
私がすることは
現に感じられる“色”を戯れ ただ この場で周りの人と笑顔なんかを楽しんで
自分の思いを大切にしながら 流れとともに 人間Yを表現していくこと
この世において 縛りや囚われを解きながら 気ままに思いのまま、私のまま でいこうと
改めて確認するに至っている次第なのだー