弛まぬ空

酷く個人的かつ内面的な日記

永劫回帰ー祈りと忘却1ーハレとケ

2017-11-20 12:20:19 | 思考
そう、全てに意味はない。

だが、だからこそ、ニーチェは永劫回帰という超越ー祈りにかけたのではなかったのか。
そして、そのための要件が、
その瞬間が来るためにいかなる辛苦耐えられる。
そんな類のもの。

生の至上高揚、(マズローは嫌いだが)至高体験というものだろう。

そして、その瞬間のために世界が永遠に繰り返されてもいい、いや、もはや永遠に繰り返されることを欲する。

意味を超越するもの。

だが、悲しいかな、人間は忘却してしまう。

そんな体験があったとしても、目先の苦しさで人生を世界を呪う。
そのことで祈った自分も忘れてしまう。
そこが今の思考の限界。
今の自分にとって過去の体験は意味を持たない。

それならば、これからの瞬間瞬間にかけるしかないのだろう。
しかし、日常というものは否応なくそれを奪っていく。

・・・

ハレとケ、自然信仰、昔の人々はそれでしのいでいたのだろう。
しかし、現代では自覚しない限り、「ハレ」そういうものを持ちづらい。
いや、持ったとしてもかんじにくい。


では、現代における「ハレ」とは?
(次の「キラキラしたもの」に続く)


停滞と去年と同じ流れ

2017-11-20 00:54:50 | 思考
先週テトラミドを追加して中途覚醒は減ったものの変な夢ばかりみる。そして、結局、焦燥感に駆られながらスマホをいじって時間が過ぎていくという・・

これは去年と同じ流れだ。

やらなければいけないことがわかっているのに手がつかず、結局、無為に一日が終わる。

ひょっとしたら、もう限界なのかもしれない。大学院という選択は。
適性以前に意欲が湧かない。

だが、そもそも、何にも意欲が湧かないから適性で決めるという選択であったはず。
ならば、とりあえず、強引にどこかにねじ込むか学問自体を変えるかだろう。

とりあえず、心理学や臨床心理学は今年度ーつまり春入試で打ち切ろうと思う。

大学院と言うと、いつも他人に
哲学研究科ではないの?
と言われてきた。
だが、科学が究極的なことには何にも答えてくれないのに対して、哲学の答えは独りよがりだ。そして、もう答えなど出ている。いや、追求することを諦めているといった方が正しい。
何より、哲学における自分の限界を悟りきってしまっているのだな。
理解出来てもオリジナリティが出てこない。

個人の限界だけではない。博士論文の内容見ても、
~の~的解釈について、とかで何ともつまらない。学問自体が行き詰まっている。

でも、あれこれ言っても自分は場と人に影響される個体。
ともかくスマホのゲームはアンインストールして、最後の気持ちで臨もう。
そして、強引にねじ込んでから考えよう。