≪選抜出場校の思い出 その6≫
近畿代表 東洋大姫路 (兵庫) 9度目(3年ぶり)
夏12度出場 優勝1回 甲子園通算 33勝19敗1分
3年前、東洋大姫路が復活して選抜に出場してきたときには、うれしかったなあ。嬉しくて、筆が鳴る鳴る・・・・って感じで思い出すことつらつらと書いた覚えがありますね。東洋大姫路といえば、昭和の高校野球ファンにとっては忘れることのできない強豪です。平成に入ってからはなかなかその存在感を見せられることも少なかったのですが、とにかく昭和の時代は強かった。その当時の兵庫県、報徳と東洋大姫路という2強がものすごく強くて、甲子園に出てくるといつも上位まで駆け上がって、甲子園を席巻していました。その頃というと、東洋大姫路は若き梅谷監督、そして報徳学園はベテランの福島監督・沢井監督らが采配を振るっていて、県大会でこの宿命の対決に勝った方が、甲子園での上位進出も約束されていたような時代でした。夏の選手権優勝も、東洋大姫路は昭和52年に松本ー安井の超高校級バッテリーを擁して全国制覇、報徳学園は昭和56年に金村を擁して全国制覇を成し遂げました。大阪のPL、和歌山の箕島、そして兵庫の東洋大姫路と報徳は、そりゃあもう強かったという印象しかありませんね。(奈良の天理はまだ勝ち始める前段階で、そこまで強かったという印象はありません。) さ~て、近年報徳学園が、かつての勢いを取り戻して、いつでも全国制覇を狙えるぐらいのチームを作るようになってきました。昨年、一昨年と、選抜で2年連続の決勝進出。名門がフルに復活してきたという嬉しさが、ワタシのようなオールドファンにはありますね。そして東洋大姫路。90年代から力を少しずつ落とし始め、10年代に入ってからは甲子園出場もままなりませんでしたが、ついに学校が重い腰を上げて、OBである甲子園の名将、履正社の岡田監督を引っこ抜いて、母校の監督に持ってきました。そして2年。期待以上の成果が、出ようとしています。超高校級のエース阪下を擁し、今年のチームは秋季近畿大会を圧勝。明治神宮大会では組み合わせの不利もあり横浜に延長で屈しましたが、戦いぶり、そしてチーム力では、ワタシは横浜を上回るとみています。そして甲子園を熟知した岡田采配もあります。さあ、さあ。。。。今年が東洋大姫路、完全復活の年になるのか?そして兵庫県は、また数十年ぶりに、報徳ー東洋の2強体制となります。もっともかつてと同じように、そうはさせじの勢力も多いですがね。神戸国際、明石商、社。。。。。。しかし、この2強が君臨する図式、なんだかオールドファンにとっては、ものすご~くケツの座りがいいなあ。。。。という事で、東洋大姫路、大いに期待しています。
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東洋大姫路が、やっと選抜に姿を現してくれました。思い出のいっぱいあるこの学校、やっと書くことができます。東洋大姫路と聞いてワタシが思い浮かべるのは、やはり「サムライ」という言葉かな。この言葉がぴったりくるチームとして、梅谷監督が率いた70年代、80年代は甲子園を席巻していました。70年代前半、高校野球界は関東、四国、中国のチームが強く、近畿勢は若干押され気味の傾向がありました。ワタシが子供時代に最も心躍らせた73年の甲子園でも、江川の作新を中心に、春は横浜、夏は広島商が甲子園を制覇。上位に進出するのはこの3地区の伝統校が中心となっていました。しかし70年代も中盤に差し掛かってきたころ、もともと高校野球が最も盛んだった甲子園の地元である近畿地区に強豪校が続々と出現、70年代後半~80年代にかけては、まさに近畿全盛の勢力図にガラッと変化していきます。その中核を担ったのがこの東洋大姫路。72年には夏出場して、初戦であの掛布のいた習志野を破っていたりしますが、ワタシの記憶は定かではありません。ワタシの記憶の中ではっきりと思い出せる最初の東洋大姫路のチームは76年選抜のチーム。このチームは確かに2枚看板の投手力がいいチームではありましたが、なんといってもチームの顔は1番の弓岡(元阪急)。この人の足の速さ、出塁率の高さは、本当に驚異的でした。それまで足といえば広島商の足攻が有名でしたが、弓岡は一人でこの広商に劣らないインパクトを醸し出していて、チームを4強まで引き上げました。そしてその翌年の夏。前年のチームから松本ー安井の超高校級バッテリーが残った東洋大姫路が、初の全国制覇を成し遂げます。選抜には出場できなかった東洋大姫路でしたが、「選抜に出ていれば全国制覇できた」と言われていて、「主役のいない選抜だ」という事まで言われていたほどの強力チーム。不覚を取った秋季大会から、チームはほとんど負けずに夏の甲子園までやってきて、そして夏の甲子園でもほかのチームとの「格の違い」を見せつけて全国制覇。準決勝では好投手三谷の今治西と対戦し、エース松本はピッチャーライナーを膝に受けてもんどりうって倒れながら気迫で最後まで投げ切って、延長を制して決勝に進出しました。その決勝の相手は1年生エース、15歳のバンビ坂本を擁する東邦。梅谷監督と阪口監督、いずれ劣らぬ気迫あふれた”青年鬼監督”の対決に、甲子園は盛り上がりました。試合はご承知の通り、延長10回に松本敬遠の後、4番の安井がライトラッキーゾーンに歓喜のサヨナラホームランを叩き込んで、東洋大姫路が全国制覇を成し遂げました。その後のインタビューなどでも梅谷監督は語っていましたが、「とにかくこのチームはサムライぞろいで、負ける気がしなかった」というまさにスーパーなチームでした。こんなチームはそうそうできるわけではありませんが、東洋大姫路はその後も、攻守に隙のないしぶといチームとして、甲子園でその存在感を見せ続けました。この70年代~80年代にかけては、兵庫はこの東洋大姫路と報徳学園の2強時代。報徳も74年春、81年夏と2度の全国制覇に輝き、どちらのチームも甲子園に出れば必ず優勝候補に名前が上がるという黄金時代でした。両チームともに、強かったな~。そんな東洋大姫路と報徳、両雄が甲子園に並び立ったのが、85年の春と98年の夏の2回。東洋大姫路は、この選抜の前の直近4回の甲子園では、優勝3回、4強3回とまさに「強豪中の強豪」という戦績で、報徳も初優勝したセンバツからこの大会までの6回で、優勝2回、4強1回、8強1回という超絶な成績。この85年選抜、世はPL学園の天下でしたが、この兵庫のライバルが初めて甲子園に並び立つという事に、ワタシはかなりドキドキしていた記憶があります。実はこの大会前の評価では、秋の近畿大会決勝でPLを何と完封した豊田擁する東洋大姫路は優勝候補の2番手という扱い、一方の報徳は中の上ぐらいの位置取りでしたが、やっぱり野球だけはやってみなければわからないもの。東洋大姫路はまさかの開幕戦敗退、そして報徳は8強まで進出したのでした。 さて、少し話を戻して、東洋大姫路は77年の全国制覇の後も力を落とすことはなく、79年の選抜、82年の選手権で連続の4強進出を果たします。79年の選抜は、岡田主将(現履正社監督)が引っ張って、戦力は劣るといわれながら、すべてを近畿勢が占めた4強の一角(他は箕島、浪商、PL)を堂々と占めました。その年の準々決勝の池田戦、これは雨中の激戦となり、ワタシの「選抜観戦史」の中で今でもNo1の試合として、心に残っています。82年の夏も、4強に進出して、その池田と好勝負を展開。この年の池田。やまびこ打線大爆発で初の全国制覇を遂げた伝説のチーム。そのチームに対して、東洋大姫路は堂々と互角の戦いを挑んで3-4の惜敗でした。ちなみに最強池田、準々決勝は14-2で早実を下し、決勝は広島商に12-2の圧勝。いかに東洋大姫路が善戦したかわかる、このスコアです。蔦監督をして「東洋大姫路は嫌じゃ」と言わしめたほど、しぶとく戦いにくいチームでした。そしてワタシが「東洋大姫路のベストゲーム」ではないかと思うのは、86年夏の選手権3回戦、拓大紅陵戦です。この年の拓大紅陵は有力な優勝候補。安定感抜群の木村ー飯田のバッテリーを中心に強打を誇り、拓大紅陵史上最も力を持ったチームでした。その相手に対して、押されに押されながら東洋大姫路はエース長谷川(元オリ、エンジェルス等)から島尾につなぐ必勝リレーで、ピンチというピンチを4つの併殺で切り抜けて、1-0の勝利。「これしかない」という勝ち方で、強豪を撃破したのでした。この頃の東洋大姫路は、本当に甲子園に来ると無類の強さを発揮するチームでしたね。その後監督は変わってもその伝統は生き続けて、アン投手を擁して花咲徳栄と再試合、そして延長という大激闘を戦った03年選抜で4強進出、06年夏は乾投手を擁して8強に進出して、3連覇を狙う駒大苫小牧に果敢に挑んでいきました。08年選抜も佐藤投手で4強進出。この時は終盤に優勝する沖縄尚学に逆転負けしましたが、優勝のチャンスでしたね。そして最後の聖地は11年夏。この年は原樹里投手(ヤクルト)を擁していましたが、この時は初戦で海星と激突。終盤リードしている状況で原に代走(臨時代走)を送ってしまいマウンドから降ろさざるを得なくなって、最終回に冷や汗をかいたなんてこともありました。それにしても、思い出を書き連ねていてもま~~~沢山の思い出のある学校ですね。しかしここ10年以上甲子園出場がなく、OBはやきもきしていたことでしょうね。この春は久しぶりに甲子園に登場、そしてそのすぐあとから監督が交代して、あの履正社の岡田監督が就任します。バリバリの脂の乗り切った岡田監督の就任によって、名門は華麗なる復活を遂げるのでしょうか?その可能性、極めて高いと思われます。また胸のTOYOのマークが、甲子園をブイブイ言わせる日は近いのではないでしょうか。
近畿代表 智辯和歌山(和歌山) 16度目(2年ぶり) 優勝1回 準優勝3回
夏27度出場 優勝3回 準優勝1回 甲子園通算70勝37敗
智辯和歌山の登場です。甲子園最多勝監督であった高嶋監督からチームを引き継いだ2代目監督である中谷監督。中谷時代の幕開けは、ド派手なコロナ明け、2021年の全国制覇でした。高嶋監督の超スーパー強力打線に、捕手であった自らの指導メソッドで投手陣を育て上げる新たな智辯和歌山野球を確立したとみていましたが、その後3年間、甲子園に3回出場も3年連続初戦敗退、しかもすべてが接戦を勝ち切れなかった試合。ということで、今少し、中谷監督は立ち止まっていろいろと思案を巡らしているところではないかなと思います。ワタシが感じるところでは、中谷時代になって高嶋時代と違っているところは、中谷監督は非常に投打のバランスがいいチームを作るというところ。この点においては、高嶋時代を上回ると思います。逆に失われたものは、選手たちの「背中からみなぎる気魄」これだと思います。高嶋時代の智辯和歌山の選手たち、追い詰められようがどうなろうが、必ず逆転してやる、そして俺たちは必ずできるという気迫が、全身からにじみ出ていました。かつての強かったPLなどにも見られたこの「他校との、どうにもならない違い」、これが強さの源泉だと思いました。しかし最近の智辯和歌山には、この気迫は近年薄くなってきているんじゃないかと思います。かつて、この気迫満点の選手たちが、ジョックロックなどの魔曲に乗って最終回に打席に入ると、相手は完全に委縮したもんです。だからこそ終盤の逆転勝ちも、ものすごく多かったんだと思います。智辯和歌山がまた甲子園で勝っていけるのかどうかは、そのあたりにかかっているんじゃないでしょうかね。何しろ選手の素材は、これ以上なくいいチームなんですから。
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智辯和歌山が、選抜には2019年以来の登場です。甲子園最多勝監督の高嶋監督に率いられ一時代を築いた智辯和歌山は、新たに監督に就任した中谷監督の下、さらに洗練された野球で高校野球の頂点に君臨する一校として、輝き続けています。猛打線を軸に甲子園を席巻した高嶋時代から、中谷時代に代わって投手力が素晴らしく整備されるようになり、より「令和の高校野球」に対応するような進化を見せ続けています。しかし今現在の”ラスボス”である大阪桐蔭には、どうしても後れを取ってしまう状況は変わらず。智辯和歌山のターゲットは『大阪桐蔭一択』であることに、間違いはないでしょう。このライバル物語は、どこまで続いていくんでしょうか。思えば00年、日の出の勢いの智辯和歌山は、それまで70年代からずっと高校野球の頂点に君臨し続けていたPL学園を、超満員の甲子園で打って打って打ちまくって破り、「頂点の交代」を実現しました。いままた、智辯和歌山は少し下の立場から、大阪桐蔭の牙城を突き崩そうと、鋭い目で狙いを定めています。他地区を完全に凌駕する近畿のレベルの高さは、この両校に象徴されるもの。さあ、今年はどんな対決を見せてくれるのか?楽しみです。
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昨年、『甲子園最多勝監督』である稀代の名将・高嶋監督からバトンを受けた中谷監督。ものすごいプレッシャーとの戦いだろうと思って彼の野球を見ていましたが、新たな野球で新生のチームが第一歩を踏み出したということを強く意識させてくれる戦いぶりを見せてくれました。高嶋監督の、見事なまでの攻撃力を中心としたチームから、バッテリーを中心とした総合力で勝負するチームへ。智辯和歌山の『第2章』が幕を開けましたね。中谷監督は自身が捕手出身で、しかもプロ野球を経験。選手としても裏方としても様々な場面で捕手としての経験を積み、そして様々な投手の球を受け続けてきたということを、見事に高校野球の世界に還元してくれそうな気がします。今後が本当に楽しみな監督さんです。さらに彼には落ち着きがあって、采配の肝が据わっているというのも見て取れましたし、案外大阪桐蔭の牙城を脅かすのは、この新生・智辯和歌山ではないかという気もしてくるのです。近畿という高校野球激戦区において、また「王朝」ともいうべき力を備えることができるのは、智辯和歌山以外にはないのではないだろうか?そんな予感めいたものもしているワタシです。
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歴代最多勝監督の高嶋監督が引退をして初めて臨む甲子園。智辯和歌山が夏に初めて全国制覇した時の主将にしてドラ2で阪神に入団し、プロ野球の経験もある中谷監督が率いるこのチーム、全国的にもすごく注目されているといって良いでしょう。「智辯和歌山」と言えばあの高嶋監督の”仁王立ち”。もう30年以上も見慣れたこの光景が見られないのは本当に残念ですが、新たな風が吹くことには期待感が大きいですね。池田、PL、横浜、そして智辯和歌山。「名物監督」と言われた名前も実績もある指揮官が去った後、チームはかつてのようにはいかないというのが定番なのですが、智辯和歌山は今後どんな道をたどっていくのでしょうね。しかしながら、高嶋監督最後のチームというのが半ば公然とささやかれていた去年のチームは、往年の智辯和歌山のすごさを見るような凄まじい根性の座った攻撃を見せてくれましたね。鳥肌ものだった準々決勝の創成館、そして準決勝の東海大相模戦。両優勝候補に対して、いずれも二ケタ失点をしながら終盤にうっちゃって勝った試合は、まさに智辯和歌山の『背中から湧き出る闘志』を存分に見せてもらい、高嶋野球というものの真骨頂を見せてもらった思いでした。しかし残念だったのは、選抜決勝の大阪桐蔭戦や選手権1回戦の近江戦。やはり同じ近畿勢同士の対戦になると、いつも対戦しているせいかしっかりと対策を立てられて、自慢の打線が機能するまでには至らず悔しい敗戦となってしまいました。昨夏はもう少し勝ち進んで、高嶋監督の雄姿を拝みたかったなあ。。。。。。そんな智辯和歌山の新たな時代に、期待しています。
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かつて智弁学園を甲子園常連校に育て上げた高嶋監督が、和歌山の兄弟校であるこの智辯和歌山の開校とともに移ってきたのが1980年。それから38年の歳月が流れ、その間智辯和歌山は90年代~00年代にかけてその驚愕の強打とともに、高校野球界に一時代を築きました。現在まで34度の甲子園出場、優勝、準優勝共に3回を成し遂げ、何と一人の監督で57勝という甲子園通算勝利を挙げています。もちろんこの数字、歴代監督の最多勝利となっています。校歌にも歌われる、あの茜色が甲子園の緑のグラウンドに映え、出てくるたびに甲子園に驚きとドラマを残してくれるチーム、それが智辯和歌山です。10年代に入り、さすがの高嶋監督も齢70という古希を迎えて力を落としたかと思われる「初出場時以来」の甲子園3連敗を喫しましたが、昨夏の甲子園で初戦、我喜屋監督の興南に対して6点差をひっくり返し、次の2回戦では『王者』大阪桐蔭に対して最後まで食らいつく、かつての勢いがよみがえったかと思われる素晴らしい戦いを披露。そのメンバーがごっそり残る今年の大会では、大阪桐蔭にリベンジを果たしたうえでの4度目の全国制覇を狙っています。大ベテラン・高嶋監督はまだまだ意気軒高。『負けっぱなしでいられるか!』の気迫は、久々に智辯和歌山の快進撃を感じさせてくれるものです。今年の選抜、とても楽しみです。さて、智辯和歌山の思い出については、過年に書いたものがありますので、そちらをどうぞ。
https://blog.goo.ne.jp/angeldad/e/6ad30b101ad1a707e8c1e36a99e1853f
近畿代表 市和歌山(和歌山) 9度目(3年ぶり) 準優勝1回
夏6度出場 甲子園通算 17勝14敗
前回のセンバツでは、2019年に続いての8強入りを成し遂げ、その後23年の夏の大会にも出場。甲子園で1勝をあげました。派手さはないものの、しっかりと甲子園で実績を積み重ねていて、非常にいい形でチームが進んでいることがうかがえます。智辯和歌山という”1強”がデンと控える和歌山県。その壁は厚く大きいですが、そこを破ろうという日々の取り組みが、甲子園に出た時に全国の強豪にひるまず勝利を挙げている要因になっているという事は、強く感じますね。逆に2019年に小園ー松川というドラ1バッテリーを擁した時は、王者・智辯和歌山がこのバッテリーを崩そうとものすごい練習を積んできて、それがひいては智辯和歌山の全国制覇につながりました。両校のライバル関係というのは、そういう意味からも非常に理想的なものなんじゃないかと思いますね。さて、市和歌山は昨年の近畿大会でもしっかりと4強に進出。地味ではありますが、確実に力を備えたチームのような感じがしますね、今年も。期待しましょう。
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このところすっかり甲子園の常連になりつつある市和歌山。まだまだ智辯和歌山は立ちはだかる大きな壁ですが、かなり最近は「並び立つ存在」として、その存在感が大きくなりつつあります。昨年はいずれもドラ1でプロ入りした小園ー松川のバッテリーを中心に、全国制覇を成し遂げる智辯和歌山に肉薄するチームを作りました。伝統的に投手力を中心としたしっかりした守りが特徴のチームですが、ここに打線のパワーが加わるとさらに一段階段を登れるのではないかと思います。藤田平(元阪神)、川端(ヤクルト)という技術の高い先輩プレーヤーを輩出している高校なので、打者としてチームを引っ張るプレーヤーの出現が待たれます。
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和歌山というところ。戦前からのまさに野球どころ。愛知、岐阜と並び「野球どころ」戦前は関西の中でも突出して戦績を残してきた県です。温暖な気候に恵まれていたということが一つの要因なのでしょうが、それはすさまじい戦績だということが記録を見るとわかります。高校野球(中等野球)創成期には和歌山中(現桐蔭)が、その後海草中(現向陽)が席巻し何度も全国制覇を達成します。戦後新宮などが県高校野球界を引っ張る時期があり、70年代からは箕島の時代に。そして昭和の時代の最後からは智辯和歌山の時代になり今に至るというのが和歌山県の高校野球の歴史だと思います。箕島の時代あたりからワタシは高校野球を見始めているのですが、和歌山の伝統校という中に二つの商業高校(県和商、市和商)の名前をよく目にしました。その頃70年代~80年代にかけ、この伝統の二つの商業高校は、県和商も市和商も甲子園でその姿を見ることはない、ワタシにとっては「まだ見ぬ伝統・強豪校」という学校でした。両校ともに多数のプロ野球選手を輩出しているところからも野球力の高さを感じることはできますが、何しろ和歌山では「時代を作った」学校が甲子園に出続けるという伝統(?)みたいなものもあり、なかなか甲子園の土を踏むには至らなかったというのがワタシの印象です。特に市和商は、子供のころにあこがれた阪神の藤田平を生んだ学校ということもあり、特別感は確かにありましたね。初めて市和商の姿を甲子園で見たのは94年の夏の大会。もうワタシも、子供時代を通り越しておっさんへまっしぐらのころでした。それからは04年の玉置投手、05年の川端選手(ヤクルト)らプロ入りする選手を擁しての甲子園出場を果たすようになりましたが、同時期の智辯和歌山のまばゆいばかりの甲子園戦績と比較すると、正直少し地味かなと感じることが多かったように思います。そして14年の選手権初戦、12回裏の守りで、サヨナラのランナーがホームに還るのにファーストに投げてしまった悲劇の結末のことは、忘れられません。
さて、2年ぶりの出場となった今年。大会NO1ともいわれる剛腕・小園を擁して、勝負に行く大会として出場します。秋の大会でライバル・智辯和歌山を小園が3連破。自信をもって挑むこの大会、ひょっとして、市和歌山の歴史を変える大会となるかもしれません。高校野球を特に熱く応援することで定評のある和歌山県のファンが、新たな優勝校の出現に沸く大会になるかもしれません。
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今回の選抜出場校の選考で、最も驚かされたのは関東・東京の6番目、盤石だろうと思われていた東海大菅生が外れて横浜が選出されたというもの。そして同時に驚いたのが、近畿6校目に選出された市和歌山でした。何しろ優勝した龍谷大平安と接戦をしたというのが評価されたようですね。両校ともにまんじりともしない数か月を過ごしてきたと思うので、春の陽気の下その思いを思いっきりぶつけて戦ってほしいですね。近畿はかつては7校、現在は6校が一般枠として選考されますが、秋の近畿大会準々決勝敗退組の4校から選出されることが多く、強豪同士の対決で敗れた5校目、6校目が選抜で大活躍するという事も、多々あります。00年には秋の近畿大会初戦敗退だったものの選出された智辯和歌山が大ブレークして選抜準優勝、続く選手権優勝に輝いたという例もあります。一方関東・東京の6校目。かつては関東で5校選出されていたこともあって、その頃は「関東の5校目」というのが選抜のジョーカーになっていたという事もありました。「4強に残れなかったチームたちの最後のイス」ということで、その頃は「それ以外で最も強いチーム」が先行されることが多く、それゆえ「関東の最後の枠は気をつけろ」ってなことが言われていたこともありました。そんな「最後尾から一気」という、競馬を見ていてももっともコーフンする展開を演出してくれるチームになってもらうと、選抜も盛り上がります。何しろ選抜は、『無印良品』を見つけるのが楽しい大会というのが、大会を楽しむポイントになっているような気もしますからね。という事で、市和歌山も秋に見せたようなしぶとい戦いで、頑張ってほしいと思っています。
(つづく)