松井の引退会見から1日がたちました。
まだワタシの中で、
その事実を受け入れられない状況が続いているところです。
松井が大好きな芸人、
ビビる大木さんが自身のラジオ番組内で、
『松井秀喜に恋して』というコーナーをこの3か月ほどやっていました。
『今なぜ?』と思いながらも、
その番組をポッドキャストで聞くのを楽しみにしていたのですが、
今週の火曜日(12/25)という非常にバッドなタイミングで最終回を迎えてしまい、
松井の引退のことを番組内で伝えられず、
本当に残念だったと思います。
大木さん、どこかで松井の引退、思い入れいっぱいに語ってよね。
聞くのを楽しみにしていますから。
さて、
この松井の引退会見で語られたのが、
松井秀喜と長嶋茂雄の師弟の絆。
松井が最もプロ野球人生で印象に残っていることとして、
『長嶋監督との二人っきりでのバッティング指導』
をあげていましたね。
長嶋監督に対して【感謝してもしきれない】とも語っていました。
長嶋監督も、
『松井は現代のプロ野球で最高の長距離バッター』
との、
これ以上ない賛辞を彼に送りました。
掛け値なしの師弟の絆、
素晴らしいと思いました。
思えば、
日本プロ野球にとっての至宝、
長嶋茂雄氏は、
『長嶋の前に長嶋なし、長嶋の後に長嶋なし』
といわれる存在でした。
若い方々はちょっと想像もつかないでしょうが、
長嶋という人の存在は、
日本のすべての野球きょうたちが『長嶋信者』であるかのような、
稀有な存在の【日本の太陽】でした。
その長嶋が引退してすぐに監督になった6年間、
いわゆる【第1次長嶋政権】で成し遂げられなかったことが二つ。
一つは、日本一になること。
そしてもう一つは、
自分の後継者たる『プロ野球の大スター』を育て上げることでした。
それまで巨人といえば【日本一】が当たり前だったのに、
長嶋監督になった途端に6年間も日本一から見放されたので、
世間は『監督としての長嶋は無能』とのレッテルを張りました。
その後長い浪人時代、
長嶋はどんなチームの監督就任へのオファーにも首を縦に振らず、
ひたすら巨人からのオファーを待ち続けました。
その長嶋に巨人から監督再就任のオファーが届いたのが92年秋。
その【第2次長嶋政権】での最初の仕事が、
ドラフトで松井秀喜を引き当てたことでしたね。
どこでも語られていることなんですが、
長嶋はあの松井の夏の甲子園での敬遠騒ぎの時の彼の泰然自若とした態度を見て、
松井秀喜という男に惚れこんでしまったみたいなんですね。
そして思ったそうです。
『この男を、自分の手で育ててみたい』
そして運命のドラフトで、
長嶋は見事にその手で松井を引き当てました。
長嶋・巨人にとっても大きいスター選手の獲得でしたが、
松井秀喜にとっては人生においてとても大きかった【運命の瞬間】でしたね。
長嶋はこの松井秀喜という若者の可能性に賭け、
その松井とともに自身初の日本一という夢をつかむべく走り始めたのでした。
長嶋は高卒ルーキーながら松井を常に1軍において、
『自分の後継者』
として育てていきましたね。
しかしその育て方は、
はたから見ていても【苛烈さ】が伝わってくるようでした。
長嶋監督は、
ファンには決して努力している姿や厳しい面は見せず、
いつも明るくおおらかに突き進んでいく人のように見えます。
しかしその激しさは他は類を見ない人だと思いますね。
伝説の『伊東キャンプ』がそうであったように、
長嶋はこれと見込んだ選手はすさまじいばかりの情熱と執念で、
育て上げていく人です。
松井に対しては、
他の選手に対する態度とは全然違い、
一切褒めるということをしませんでした。
そして彼がどんなに打っても、
自分が認める域まで達するまでは、
絶対に『巨人の4番』を打たせることをしませんでしたね。
どんなにファンが『松井を4番に』と望んだとしても。
そして彼がついに『巨人の4番に育った』と長嶋自身が認め、
4番の座を与えてからというもの、
どんなに不調でも決して4番を外そうとはしませんでした。
松井秀喜は、
そうやって巨人の4番に座り、
やがて押しも押されぬ【日本の4番】になっていったんですね。
振り返ってみると、
第1次政権の時代は、
バッターとして長嶋監督のめがねにかなうような選手は、
最後まで現れませんでした。
だから余計に、
第2次監督時代の最初に出会った松井という選手に、
運命と使命を感じて育てていったんだと思います。
そして松井は、
それに応えるだけの素晴らしい選手でした。
本当にうらやましい、
スーパースターとスーパースターが二人三脚で歩むという、
世界のスポーツ―ンを見渡しても例がないような、
【濃密な】9年間だったんですね。
松井は日本で過ごした10年間のプロ野球生活のうち、
9年間を長嶋監督と過ごしているわけですから、
これはもう【太い師弟の絆】以外の何物でもありませんね。
松井がこの引退を決意したのも、
そして日本の各球団からのオファーに首を縦に振らなかったのも、
長嶋監督の『スーパースターとはこうあるべき』という教えが根底にあるからなんでしょうね。
あのころは何気なく、
監督=長嶋、主砲=松井
を毎日眺めていたのですが、
今になってみると、それがどんなに素晴らしいことだったのかが、
本当に実感できてしまいます。
さて、松井選手。
今度は『スーパースター』だったあなたが、
新しい『スーパースター』を育て、
その系譜を継がせていく番ですよ。
あなたにはそれができると思うし、
その義務があります。
そしてそのことが、
日本のプロ野球を救っていくことになると思っています。
松井秀喜の『第2章』、
その幕が開くのを、
楽しみに待っています。
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