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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

選抜出場校 こんなこと思い出してしまいました 2023  その3【関東2】

2023年02月03日 | 高校野球

≪選抜出場校の思い出2022 その3≫

関東代表  専大松戸(千葉)     2度目(2年ぶり)
                   夏2度出場 甲子園通算1勝2敗      

好投手輩出の宝庫、専大松戸は、今年もまた好投手を軸に選抜にやってきました。過去に上沢、高橋礼、原、深沢らの好投手の系譜にまた一人、平野という投手が加わります。決して甲子園で実績を残した監督ではない持丸監督ですが、投手育成の腕は確か。続々と好投手がこの専大松戸を巣立っていきますね。さて、千葉県代表として、今度こそ上位進出を狙って、甲子園で快進撃を見せてほしいものですが、専大松戸のやられるパターンとしては必ず「打てなかった」というのが定番となってしまっています。21年の選手権初戦で、選抜準優勝校である明豊を完璧に破った試合、あれこそが専大松戸が目指す野球だと思います。好投手がいいリズム、テンポで投球をして、それをバックががっちり守る。そして細かいプレーをきっちりこなして、ここぞという時に一打が出る。。。。。まあ、勝つ時はこんなもの、という勝ち方でした。そのいいリズムの試合を、いかに甲子園でたくさんできるのかが、専大松戸に課せられた課題。激戦千葉でいつももまれているその力を見せて、上位進出を勝ち取ってほしい学校です。

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2015年に選手権にうれしい初出場を決めた専大松戸。かつての「野球王国」千葉にあって、なかなか出場がかなわなかった松戸市からの初出場ということもあって、市民は大喜びでした。そんな専大松戸の監督は持丸監督。高校野球ファンの間ではおなじみの監督ですが、すでに72歳になっているんですね。かつては竜ケ崎一、藤代、常総学院などを甲子園に導き、さらに投手育成能力には定評のある監督さんで、近年でも美馬、高橋令、原などそうそうたるプロ入りした投手が教え子ですね。イメージとしては、高校野球の監督として、勝負よりも選手の育成に力を入れているように見えます。常総の監督として何度か甲子園に出場していますが、その時も木内監督の時に見られたような勝負への執念というものは、持丸監督を見ていて感じることはできませんでした。あくまでオーソドックスに試合を進め、そこまでの練習の成果を出させるような試合っぷりだったように感じます。甲子園で勝つためには、「そのほかの何か」がないと厳しいんだろうなあ・・・・そんなこと、感じる采配でした。かつてはさほどの強豪校ではなかった専大松戸、しかし持丸監督が就任してからというもの、年々力をつけてきたのは確かです。特に秋春の関東大会においては、本当にあの緑のユニをよく見ます。千葉県大会はなかなか見ることができない(遠いから)ワタシも、必ず行く関東大会では専松も緑のユニを持丸監督の姿とともにしょっちゅう見るので、イメージとしては「甲子園常連校」のように感じることがありますが、実際は甲子園ではまだ1試合しか戦っていないチームなのですね。しかしながら、大ベテランの監督が采配を振るう姿、まだまだ見てみたい気がしています。この10年ぐらいで、「チームを一から強豪に育てた」監督さんが次々に引退する、または鬼籍に入るなどでグラウンドから去っていくということを経験しています。持丸監督は専松の「中興の祖」ではないとは思いますが、初めての甲子園に連れて行ってくれた監督です。その「おじいちゃん監督」に率いられ、孫のような存在である選手たちがグラウンドの中で暴れまわる。。。。。。ワタシの大好きな光景、また甲子園で繰り広げられることを願ってやみません。




関東代表  慶応 (神奈川)         10度目(5年ぶり) 
                       夏18度出場  優勝1回 準優勝1回  甲子園通算19勝18敗 

慶応が5年ぶりに選抜に帰ってきます。もとより出場するという事になればOBを中心にザワザワが止まらなくなるチームですが、そこに今年はあの清原和博の次男がレギュラーメンバーとして入っているとあって、大会前から喧騒が止まらなくなっています。慶応はその取り組み方が非常に優れていて、ある意味高校野球のお手本となるチームですね。そしてこの慶応高校から慶応大学へ沢山の選手を輩出し、彼らが六大学の舞台で大活躍して何度も優勝に導いている。。。。。。ある意味「最も成功している高校」の一つではないかと思います。彼らのメソッドは一貫していて、高校3年間と大学4年間を一貫で考え、野球の技術、体力面等を強化していっていますので、高校で出来上がった選手ではないという事は確かです。それゆえなかなか甲子園まで歩を進めるのは難しいことも多いのですが、ずっと数十年間2強と言われ続けていた東海大相模、横浜が相対的にその力を落としていっている昨今、慶応にとっては大チャンス到来の時期ではないでしょうか。清原を擁し話題性は抜群、さて、どこまでその力を誇示していくことができるセンバツになるでしょうか。


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戦後生まれのワタシにとって、「慶応の野球」といえば大学のこと・・・・という時代が長く続きました。戦前には選手権第2回大会の優勝、第6回大会の準優勝など輝くような戦績が並ぶこの慶応ですが、ワタシが物心ついてから甲子園というものには全く縁がなく、さらに神奈川県の中でもせいぜい”中堅クラス”という位置づけで、代表争いに絡んでくるということはまずありませんでした。「やっぱり入試は難しいし、選手を集めることもできないから、仕方ないよなあ」とほんのり思う程度の学校でしたが、2000年代に入って学校の野球部に対する協力体制が変わってから、一気に神奈川の中でも強豪にランク付けされるチームとなってきましたね。とにかくチームに、野球に、そして学校に対する考え方が素晴らしい上田監督に率いられ、05年には選抜に勇躍登場。その初戦、ぎっしりとOBやファンで埋まり大声援を送る応援席、そしてそぼ降る雨。そんな中で甲子園常連校である関西に対して堂々とサヨナラ勝ちした試合は、感動的でした。そして08年には選抜に続いて選手権にも久々の登場。田村ー只野の2本柱の安定感が抜群で、聖地で3勝を挙げて8強まで進出しました。甲子園での戦いぶりも見事だったのですが、ワタシはこのチームで思い出に残っているといえば、なんといっても神奈川県大会の決勝。主砲・大田が神奈川県大会の記録を塗り替える本塁打を放つ東海大相模を向こうに回し、ぎりぎりの9回に追いついて、延長での歓喜の大勝利に、慶応の応援席は本当に沸いていましたね。ワタシはこの東海大相模のチームは「全国制覇も可能」と思っていたので敗戦に大いに落胆したものですが、その東海大相模を破った慶応が甲子園でその力を見せつける試合をしてくれたので、大変にうれしかった記憶があります。8強に残った時、この年は今年と同じ記念大会で神奈川から2校出場していたので、「もしかしたら、横浜と慶応という、神奈川勢同士の決勝があるかも」と胸躍らせたことを思い出しました。そして翌年は好投手・白村(日ハム)を擁して秋季関東大会、そして明治神宮大会までをも制して「優勝候補」の冠付きで臨んだ選抜でしたが、まさかの初戦敗退。それ以降何か歯車がかみ合わなくなったか、毎年神奈川県では有力候補に挙がるも、ずっと甲子園から遠ざかっていました。今年のチームは、その甲子園に出られなかった過去9年ほどのチームと比較して、突出して力があるわけではなく、秋の神奈川大会決勝ではライバルの東海大相模に決勝で0-12と大敗を喫していました。しかし、そのあとの関東大会で毎試合粘りを発揮して勝ち上がり、見事に9年ぶりの甲子園に登場することになりました。OBは待って、待って、待ちくたびれたことでしょう。そのエネルギーが、春の甲子園の銀傘を揺らす、そのことだけは確実でしょうね。



東京代表   東海大菅生       
5度目(2年ぶり)  
                   夏4度出場     甲子園通算6勝8敗

さて、大変なことになりました。2010年代から東京の高校野球を引っ張ってきた東海大菅生、元プロ野球選手のカリスマ監督であった若林監督が暴力事件をもとに解任され、チームは非常に苦しい立場の選抜に臨むこととなりました。東海大菅生は過去8度の甲子園経験がありますが、ビフォア若林の時代が1勝4敗であったのと比較し、若林時代は5勝4敗と勝ち越し。さあ、強くなるのはこれから・・・・という時期での監督交代ですから、その影響は非常に大きいものがあるでしょうね。東海大菅生の野球といえば、きっちりとした投手中心の守りと、キレとスピードのある攻撃を得意とする打撃陣のコラボ。チームの完成度の高い強豪でした。西東京は日大三と早実の時代だったのが、最近は東海大菅生の時代に代わりつつありましたから、今後どうなっていくのか、あるいは全体的にレベルを落としていくのか。。。。。そんなことを考えてしまいますね。今年のチーム、秋はエースのワンマンの香りが漂っていましたが、それでは集中開催の甲子園では勝ち上がれません。そのあたりも含め、新監督がどのようにチームを仕上げ戦っていくのか、注目されます。


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2009年、若林監督が監督に就任し、東海大菅生は一歩一歩、東京の強豪としての歩みを始めました。その前、96年、97年には牧野投手という好投手を擁して甲子園に夏春連続の初出場を決めたのですが、その後西東京では日大三や東から移転してきた早実などが全国レベルの強豪として力を伸ばしてきたので、どうしても一歩遅れて後塵を拝す時期が続きました。転機はやはり若林監督の就任でしょうね。プロ野球のメソッドをうまくミックスさせたチーム作りを進めて、夏の西東京大会では常に優勝を争うようなチームへと変身してきました。エース高橋(巨人)を軸に左腕二本柱で臨んだ14年、勝俣で勝負をかけた15年、伊藤を軸に優勝間違いなしといわれた16年と、「絶対優位」といわれた夏の西東京大会決勝でまさかの3連敗。ワタシは3年ともに観戦しましたが、いずれの試合も東海大菅生のほうがいいチームに見えました。「もう夏はいけないんじゃないか」という思いが駆け巡った翌17年、準々決勝でこの年の「絶対の2強」といわれた一角の日大三を完封(5-0)で撃破すると、決勝ではあの清宮がキャプテンの早実に対しても果敢に挑み、ついに苦節4年目にして初めて西東京の決勝を突破(6-2)。その見事な戦いぶりは、「決勝3時間前なのにスタンドがぎっしり埋まって座るところを探すのも一苦労」というフィーバーぶりとともに、昨日のことのように覚えています。東京では、固定ファンを抱える早実、日大三や動員されたファンがスタンドを埋める創価、判官びいきの声援が無数にバックにつく都立日野などが上位では相手になっていて、東海大菅生は常に「アウェー状態」で戦うことを余儀なくされている感じが、ワタシにはあります。しかしながら、そんな環境が彼らを一歩一歩強くしたような気がしています。この17年の甲子園では、選手たちは甲子園を楽しんでいるかのようにのびのびと戦い、4強まで進出しました。敗れた準決勝でも、優勝した花咲徳栄を寸前まで追いつめ、ワタシは今でも「あの試合さえ勝っておけば」ということを飲んだら言っちゃったりしますね。菅生は東京のチームとしては、ひ弱さを感じさせない「骨太なチーム」というイメージが、最近ではついてきました。翌18年には西東京準決勝で、日大三の気迫にリベンジを許し、秋は準優勝しながら、やや不可解な選考で選抜を逃すという悔しさも味わいました。その悔しさを持った19年夏、「このチームは甲子園で上位を狙えるだろう」と思った素晴らしいチームを作りながら、準決勝で無印の国学院久我山にまさか、まさか、まさかの敗退。そして20年は甲子園大会がありませんでした。しかしそんな中、東海大菅生はキッチリと夏の独自大会で結果を出し、東京NO1に輝き、面目を保ちました。2014年からの7年間、トータルで東海大菅生は、東京でNO1のチームだと思います。東では関東一が安定した強さを見せていて、この両チームが今の東京の高校野球を引っ張る存在です。しかし関東一と違い、それに見合った全国での成績を、まだ東海大菅生は残してはいません。そろそろ東海大菅生が本物の強豪として、甲子園の大舞台で、グラウンド狭しと暴れまわってほしいものです。その力は、十分にあると思っています。
ところで東海大菅生のあるあきる野市、県外から訪れたなら「えっ、ここが東京なの?」と思うような深い森と山に囲まれた地域です。タヌキはもちろんのこと、イノシシも出る?ような場所ではぐくまれた野球で、強豪の一角に食い込んで見せてほしいと思っています。「虎の穴」ならぬ「猪の穴??」から、すんごいチームが出てきたら、痛快なことこの上なし・・・・・ですよ。




東京代表   二松学舎大付      7度目(2年連続)  準優勝1回
                   夏5度出場     甲子園通算10勝11敗 

かつては春の二松学舎だったのが、最近は夏の二松学舎に代わり、昨年まで5回の大会(2020年のぞく)で4回の選手権出場と、夏の出場の仕方を完全に把握したかのごとく快進撃が続いています。そしてその4回を含め5回の選手権では、常に初戦を突破するという実績を作り、東京の高校野球を引っ張っています。しかしながら、昨年までは1勝した後必ず2戦目で敗れるというのが続いていましたが、昨夏悲願の甲子園2勝を達成し、新たな気持ちで臨むセンバツとなります。選抜では2度目の出場になった82年に快進撃で準優勝に輝きましたが、それ以降4回の出場では1勝もできずに4連敗中。さて、今年のセンバツでは久しぶりの「春1勝」をあげることができるのか。注目してみたいと思います。


昨年の記事 ⇒

二松学舎といえば、少し前までは「夏の選手権では、決勝で何度も壁に跳ね返されている悲劇のチーム」という認識で、何度東東京大会の決勝に進出しても、その都度跳ね返されてしまうというチームでした。しかし2014年に1年生の大江(現巨人)をエースに立てたチームで長かったその呪縛から解き放たれ、その後は「夏のチーム」として完全に生まれ変わっています。最近でも17年、18年、21年と4大会で3度の甲子園をつかんで、さらに甲子園では常に勝利をあげて実績を積み重ねていっています。しかしもともとは、春の選抜で全国に勇躍名を広めたチームです。1980年。初めて甲子園の土を踏んだチームは、なかなかの力強いチームでした。長身右腕の本格派西尾に、打線も鋭く「波に乗れば覇権を争うところまで行けるのではないか?」なんてひそかにワタシも思っていました。しかし初戦で対戦したのがその年の3強の一角であった柳川。エース中島は「テルシー」なんて呼ばれて、剛腕の名をほしいままにした投手でした。その優勝候補に、まったくの新顔ながら果敢に勝負を挑んだ二松学舎。敗れはしたものの、最終回にはあわやのところまで柳川を追い詰め、「何かやるチーム」という匂いを、甲子園に残して去っていきました。(ちなみに、秋季大会決勝で破った帝京が波に乗って準優勝まで駆け上がりました。) 2度目の春はその2年後。この年のチームは、秋季大会では荒木率いる早実に敗れて準優勝。東京2番手という位置づけのチームで、投打ともに初出場時よりは力が落ちるとされていました。しかし野球とは本当にわからないもの。組み合わせに恵まれたとはいえ、二松学舎はしぶとい攻守でどんどん勝ち進んで、気が付けば決勝に進出していました。その時の左の軟投派エースが、現在の市原監督です。当時の監督は、日大三監督なども歴任した青木監督。準決勝に勝ち決勝に進出した際には、インタビュー台の上で男泣きでした。決勝ではPLの猛攻に抗しきれず大差での敗退を余儀なくされましたが、「東京に二松学舎あり」を強く印象付けた大会でした。まだこの時代、東東京は早実1強時代で、それに対抗するのが帝京。現在の2強である二松学舎と関東一は、まだまだ新顔という時代でしたね。ちなみに二松学舎を強くした青木監督も、関東一を強くした小倉監督も、いずれも日大三の監督として甲子園の土を踏んでいる監督です。
二松学舎というと、伝統の白のユニで左胸にタテに二松学舎、そしてアンダーシャツと帽子は緑という、変わらない姿です。それがまた、ワタシにはうれしいですね。やっぱり思い入れの強いユニは変えないでほしい・・・・・というのが、ファンとして思うところです。余談ですが、中京大中京も伝統のユニに戻してから、ワタシはがぜん応援する気になりましたもんね。
  

(つづく)


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