思いつくまま、気の向くままの連載記事。
第4回『東海・北信越編』です。
≪選抜出場校 思い出編4≫
東海代表 東邦(愛知) 28度目(11年ぶり)
夏16度出場 甲子園通算67勝39敗 優勝4回 準優勝3回
戦前から名をはせる愛知の強豪、東邦。中京大中京と並び、高校野球の代名詞的なチームです。特に春には強く、優勝4回、準優勝2回の実績を残しています。甲子園通算勝利は67勝。高校野球史に燦然と輝く記録ですね。ワタシが高校野球を見だしてからは、東邦と言えば阪口監督(現大垣日大監督)というのが『刷り込まれた記憶』です。強烈な光を放ったのは、なんといっても77年夏の坂本投手。1年生、15歳のりりしいエースは”バンビ”の愛称で甲子園のアイドルとなり、準優勝に輝きました。そしてその名前は、長く語り継がれました。この年の東邦のチームは、実は強打のチーム。しかしエースが決まらず、それゆえ甲子園出場が危ぶまれていました。そこにさっそうと登場したのがこの坂本。やや後ろに体重をかけるような若干ぎくしゃくしたフォームから、伸びのある速球を怖いもの知らずで投げ込み、相手の強力打線を抑え込んでいきました。そして『投』が安定した東邦は、得意の『打』も爆発して勝ち進み、夏の選手権では学校初となる決勝へ。決勝では野武士軍団である東洋大姫路の安井主将にサヨナラ3ランを浴びて決勝で力尽きますが、坂本には【敗者の美学】でスポットライトが浴びせられ続け、長く語り継がれることになりました。坂本はこの後、気ちがいじみた喧騒に巻き込まれて、かわいそうなその後2年を過ごしたという記憶があります。結局甲子園への帰還はならず。しかし、準優勝の翌年の愛知大会決勝で、超強豪の中京相手に見事なピッチングを披露。1-2と敗れましたが、その矜持を見せてくれたのは嬉しかったです。結局その中京は甲子園では、準決勝で『逆転のPL』の奇跡を食らって4-5で敗れ去りますが、全国屈指と言われた中京の猛打線を相手に、2失点で抑えたのは全国広しと言えども、坂本投手だけでした。3年の夏は坂本投手が登板する前に、控えの投手先発の試合で0-1と敗れました。2,3年の夏は、運を味方につけることができませんでしたね。そしてもう一人は、88年、89年の選抜で準優勝、優勝に輝いた山田投手。上背のない左腕でしたが、速球、変化球のキレは抜群で、選抜で連続の決勝進出。山田投手のあの爽やかな笑顔は、ワタシの脳裏には、桜の花に彩られた背景から鮮やかに浮かび上がってきます。その他にもたくさんの好投手を生み出した東邦というチーム。このチームにまた、今年藤嶋投手という超高校級のエースが存在します。彼は既に、一昨年の夏甲子園デビューを果たしていますから、今度は5度目の全国制覇を狙い、選抜に乗り込んでくるはず。昔懐かしい『エースで4番』、今風に言うと『二刀流』で勝負です。強豪チームとの対戦が、今から楽しみです。
東海代表 いなべ総合(三重) 初出場
夏1度出場 甲子園通算 0勝1敗
いなべ総合という学校には、ほとんどワタシ自身の思い出はありません。10年に一度夏の甲子園に出て、初戦で福井商に0-6と敗れています。ワタシその試合、甲子園で見てはいるのですが、『緊迫した試合が一転、あっという間に福井商が集中打で6点を取り、そのまま逃げ切った』という思いしかありません。印象に残った試合っぷりではありませんでしたね。いなべ総合というよりも、監督である尾崎英也氏ということで言えば、四日市工時代の姿が思い浮かびます。91年の選手権大会で、井出元投手を擁して選抜準優勝の松商学園に果敢に挑んだ延長16回の死闘は、三重県の高校野球史に燦然と輝く試合でした。そして尾崎野球の集大成は、ワタシは00年のチームだと思います。前年秋に東海大会を制し、そして明治神宮大会をも制した四日市工は、そりゃあものすごい打線のチームでした。『野球弱小県』と位置付けられていた三重代表として、一昨年の三重高校と並んで、この四日市工のチームは”破格のチーム”だったという思いがありますね。選抜では2回戦で当時チーム力がピークを迎えていた明徳義塾と激突。一進一退の打撃戦を繰り広げた試合は、忘れることができません。最後の最後まで、ワタシは四日市工が勝つと思って見ていました。もしこの明徳の厚い壁を突破したなら、優勝まで駆け上がったかもしれないと、今でも思っています。”尾崎野球”も、いなべ総合に転任してからはかなり変わったように見受けますが、既に監督歴は35年を超える大ベテラン。いまだ甲子園で8強進出がありません。波に乗って、今年のチームがその監督の夢をかなえるのか?注目されます。
北信越代表 敦賀気比(福井) 7度目(2年連続)
夏7度出場 甲子園通算 24勝12敗 優勝1回
記憶にも新しい、昨春の選抜優勝校。今年は堂々と、連覇を狙いに行きます。敦賀気比は、これからチームとしてのピークを迎える気配がプンプン。強豪として、甲子園に君臨するチームとなるでしょうが、このチームも2つの時期に分けられます。一つは、渡辺元監督がチームを作り甲子園の常連にのし上がった90年代。そして低迷期を経て、現在の東監督が全国の強豪と伍していくチームを作った現在です。まずは渡辺監督がチームを作り、強豪に育て上げた90年代から。このチーム、シニアの名監督だった渡辺監督が高校に転出し、京都・福井のシニアの有望な選手を集めてチームを作り福井商が君臨していた福井県高校野球界に殴り込みをかけるというので、当初からかなり話題になっていました。『果たして、高校野球の名門が勝つのか?それとも新参のクラブチームのような学校が勝つのか?』注目されていましたが、素材と野球力で勝負の敦賀気比は、周りの批判など何のそので強豪チームを作り上げ、短期間で結果を出しました。エース内藤を擁して94年に福井商の壁を破り甲子園に初出場すると、翌95年の連続出場時には全国制覇寸前の4強に進出。そして97年には三上投手と快足・東出選手で8強へ。この時の選手に、現在の東監督がいますね。チームのテイストはまさに”クラブチーム”。シニアの野球を見ているような感じでしたが、圧倒的な選手の素材力には、唸らされるものがありました。そしてその集大成と言えるようなチームが、00年の内海(巨人)-李(元巨人)の強力バッテリーを擁したチームでしたね。このチームは強かった。甲子園でも優勝候補の筆頭に上がるのは確実とみられていましたが、不祥事で選抜を辞退。そしてチームの歯車は狂い、その夏は圧勝するはずの県大会決勝でまさかのサヨナラ負け。この強いチームが甲子園の土を踏めなかったことで、その後チームの歯車は狂い、元に戻すのに時間がかかりましたね。00年代は、『あの強かった敦賀気比はどこへ』という様な感じで、時折甲子園には出るものの、また時代は福井商へと先祖返りした感じとなりました。しかし08年、東監督がコーチとしてチームにかかわるようになると、チームはまた右肩上がりの成長曲線を描くようになりました。岸本投手を擁した13年春に『こんなに強かったっけ?』という様な驚きとともに4強進出。そして14年夏には、驚きの強打で完全復活の4強入り。そして15年春。14年の4強を経験した大黒柱、エースの平沼を擁してついに、『北陸勢初』の全国制覇を成し遂げたのでした。今や完全に『顔と名前、ユニで勝負できるチーム』になりつつある敦賀気比。大阪桐蔭らとともに、時代を作っていくチームとして、高校野球界に君臨する”予定”です。
北信越代表 福井工大福井(福井) 4度目(12年ぶり)
夏7度出場 甲子園通算 6勝10敗
01年から現在の大須賀監督が就任して、もう15年になります。大須賀監督は『社会人野球の名将』として名をはせた監督で、そのことでかなり話題を呼びましたが、やはり簡単にチームの強化を図ることはできないと見えて、過去5度の甲子園では、わずか2勝を挙げるにとどまっています。福井工大福井というよりも、ワタシは福井高校という方がいまだに通りがいい学校ですが、印象に残っているのは76年のチームですね。このチーム、さほど注目もされなかったのですが選抜で輝きを放ちました。初戦で注目の好投手と言われた東海大一の太田投手を打ち崩すと、2回戦では優勝候補の天理を1点差で撃破。8強まで進出したのです。夏も連続で甲子園に出場。1勝をあげ、チーム力の高さを伺わせてくれました。敗れた試合は、春は崇徳・黒田、夏は海星・酒井と『大会NO1』の本格派に、手も足も出ずに抑え込まれたという同じような試合展開でしたが、かえってすっきりと甲子園を去るという感じだったのが印象に残っています。今年は、その時以来の甲子園2勝、8強進出を狙っての甲子園参戦ですね。
(つづく)