SPORTS! SPORTS! 寝てもさめても

16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

選抜出場校 こんなこと思い出してしまいました 2024 その8 【中国・四国】

2024年02月14日 | 高校野球

≪選抜出場校 思い出編2024 その8≫


中国代表  広 陵 (広島) 
     27度目(3年連続)   優勝3回 準優勝3回
                    夏24度出場  準優勝4回   甲子園通算77勝47敗 

昨年の広陵は、主砲・真鍋と強力投手陣を擁して秋の新チーム結成から無双を続けて、秋の明治神宮大会では2年連続の決勝対決となった大阪桐蔭を勝利寸前まで追いつめて春の選抜に出場。そこまで新チーム結成から敗れたのはその1敗のみとまさに「優勝候補」にふさわしい戦いを続けてきました。甲子園でもスキのない戦いで4強まで進出しましたが、そこで優勝した山梨学院に同点の9回に突き放されて悔しい敗退。捲土重来を期した夏は、3回戦でほぼ勝利を手中に収めながら、慶応の大声援にのまれて悔しい延長でのタイブレーク負け。「最強」と言われたチームで、思ったような結果が残せませんでした。しかし得てして、こういった最強チームのポスト年に、甲子園で栄冠までたどり着くチームがあるというのもまた甲子園の不思議の一つ。そういう面で、今年の広陵には期待しています。昨年からエースの高尾がマウンドを死守、バックも徐々に昨年の状態に近づきつつあるようです。「あの年の、あの悔しさがあったからここまで強くなれた」そんな言葉が聞きたい今年の広陵です。もとより「春の広陵」と言われ、優勝3度を誇る愛知の東邦などと並ぶ「春の王者」でもあります。さあ、どんな戦いを見せてくれるのか。「男を創る」中井監督の下、広陵のむくつけき男たちがまた、甲子園にやってきます。


昨年の記事 ⇒

今やもう、広陵といえば中井監督、中井監督といえば広陵と、そんな感じになっています。その中井監督も還暦ですかあ、時の流れは早いですね。80年春夏の甲子園に選手として出場した中井監督が監督に就任して初采配を振るったのが91年選抜。そこで久方ぶりに優勝し、OBを歓喜の渦に巻き込んでからはや30年余り。広陵はその間ずっと、強豪の名に恥じない戦いを見せてきました。青年監督だった中井監督も今や高校野球界の重鎮。しかしその姿は、まだまだ若々しい。青年監督の佇まいそのままです。この中井監督、ワタシは同年代の龍谷大平安・原田監督とかぶります。そして作新学院の小針監督とも。3人とも母校愛にあふれ、リーダーシップに長け、男気にあふれる若々しい監督です。そして3人ともに、低迷する母校を救って全国制覇まで導いた指導歴を持つナイスガイです。さて、久しぶりに3人そろっての甲子園出場。ワタシは今年も広陵と、平安か作新が対戦するという姿を、待ち望んでいます。両サイドのベンチに、選手と一緒になって熱を放つ監督の姿。。。。う~ん、たまらん。そして3チームともに、昔から変わらぬユニフォームで戦いに挑んでいきます。広陵は今年も優勝候補。どんな戦いを見せてくれるでしょうか。秋に見た感じだと、今年も相当、行けまっせ!


その前の記事 ⇒

今年も広陵が春の選抜にやってきました。何しろ90回以上を数えるこの大会の、第3回大会の優勝チームですからその歴史が感じられます。「野球どころ」広島で広島商とともに高校野球界を引っ張ってきたチームで、その輝かしい歴史は素晴らしいものです。広陵は春と夏の出場回数がほぼ拮抗していますが、春の選抜では優勝回数が3回、そして勝利数でも選手権を上回っているので、やはり「春の申し子」と言えるチームなのかもしれません。かつてはこの広陵に広島商の広島勢、そして山口勢、岡山勢など甲子園でも上位まで勝ち進むチームばかりだった中国勢も、21世紀に入ってからというもの、この広陵以外には甲子園で活躍することがままならない状況が長く続いています。広陵以外には8強以上を期待できるチームも少なく、いきおい広陵へのファンの期待は非常に高まります。今年のチームも、明治神宮大会で準優勝に輝くなど潜在能力はピカ一。中井監督の采配の下、今年も快進撃が期待される春です。


その前の記事 ⇒

今も昔も、『野球王国』広島県のトップリーダーとして君臨し続ける広陵は、その豊かな歴史の上に、現在の中井監督が時代に合った味付けをして、毎年甲子園を沸かせるチームを作り全国の舞台に乗り込んできています。広陵といえば『春の広陵』と言われ、長く広島でライバル関係を続ける広島商の『夏の広商』と比較されてきました。何しろ広陵と選抜といえば、第2回大会で初出場を飾り、第3回大会で早くも優勝。そして翌第4回大会では準優勝と、「広陵なくして選抜の歴史は語れない」ほど切っても切れない関係だといえます。その後も第6回、第12回と準優勝を飾り、その後は甲子園で勝ったり負けたりという時期もありましたが、中井監督が就任しはじめて采配を振るった91年の選抜で優勝。その後はずっと全国でもトップの存在であり続けています。平成に入ってからというもの、かつて広島、岡山、山口を中心に甲子園を我が物顔で暴れまわった中国地区代表がその活躍をぱたりと止めてしまい低迷を続けていましたが、広陵だけはそんな中でも一校だけ輝きを放ち続けていました。03年選抜ではエース西村(元巨人)を強力打線が鋭く援護して3度目の選抜制覇。決勝で横浜の誇る成瀬ー涌井(ロッテ)の二本柱を完膚なきまでに叩いての15-3の圧勝は圧巻でした。その後も毎年のようにプロ入りする好投手を輩出、今度は「選手権を何としても獲る」というターゲットを強く意識してチーム作りをしているように見受けられます。その夏は、07年に野村(広島)-小林(巨人)のバッテリーで準優勝、さらに一昨年夏は中村(広島)の大会6本塁打の大爆発などで再度準優勝に輝きました。中井監督が「男気」で育てる選手たちは腹の座った選手が多く、近い将来の夏の全国制覇も予感させますね。その中井監督が選手時代の1980年のチームも、ワタシの記憶に鮮やかに残るチームです。選抜では4強に進出。高知商、柳川と並び「3強」と称されていた前評判通りの活躍を見せてくれましたが、アンダースローの渡辺投手と強打の原捕手のバッテリーが素晴らしかった。ずっと低迷を続けていた広陵が、鮮やかに蘇ったといえる年となりましたね。それから印象に残っている戦いといえば、02年選抜の報徳戦。ガチガチの優勝候補だった報徳を向こうに回し、敗れたとはいえ大会屈指の好投手と言われた大谷(ロッテ)の速球をものの見事に打ち返していた姿はセンセーショナルでした。それから91年選抜初戦、三田学園戦での雨中の引き分け再試合とか、07年選手権初戦、駒大苫小牧戦での最終回の逆転勝利、一昨年選手権初戦の中京大中京戦の鮮やかな逆転勝利など、枚挙にいとまがないほど「広陵の思い出試合」は次から次へと頭に浮かんできます。そしていえることは、「広陵は初戦で苦戦をしてそれを乗り越えると、必ずその大会は勝ちあがる」ということです。今年も戦力は充実しています。広陵は果たして、どんな大会にするのでしょうか。



中国代表  創志学園(岡山)      4度目(7年ぶり)
                    夏3度出場   甲子園通算2勝6敗

さあ、3年ぶりに創志学園が甲子園にやってきます。しかし、今までの創志学園とは根本的に違います。そう、指揮官があの東海大相模で一時代を築いた、門馬監督だからです。「門馬創志」がいつ甲子園に登場してくるのか、非常に楽しみにしていました。多分門馬監督は、創志学園を率いて岡山県がまだ達成していない「夏の選手権優勝」を手繰り寄せてくるのではないか、そんな気がしています。何しろチーム作りには、非常に長けた監督です。そしてチーム作りがいつでも厳しい。東海大相模の時代は、ひとたび波に乗ると一気に頂点まで駆け上がるというチームをいつも作ってきていました。ある意味創志学園では、東海大相模時代よりも選手の獲得もより出来るのではと思ったりしており、ワタシにとっては全国的に最も注目の一校です。現在高校野球界最強の大阪桐蔭や、中国地方の覇権をがっちり握る広陵などと、互角以上の勝負ができる日を、待ちわびています。思えば創志学園といえば、西投手などをはじめとして毎年いい選手を輩出してきて、甲子園での活躍も多かったというイメージがあるのですが、甲子園ではこれまで6回出場してわずか2勝。活躍というところまでは至っていません。創志学園の新たな時代を高らかに宣言する、今年の選抜になるかもしれない・・・・・そんな気のする春です。


前回の記事 ⇒

昨年150キロエース・高田を押し立て春夏ともに甲子園出場を果たした創志学園。新しい勢力として、岡山の中で関西、倉敷商など伝統校に挑んでいっています。今年は去年の高田投手のような選手はいないものの、総合力は高いチームのようです。そして、今年は選抜に選ばれるのかわからないというメンタル的に厳しい中で練習を積んできたナインのパワーが、本番で炸裂する可能性はあります。


前々回の記事 ⇒

岡山の新星として、創部わずか2年目でセンバツ初出場を果たしたのが2011年、5年前のことです。女子ソフトボール界の名将で、夙川学院を16度も全国制覇に導き、その後ソフト日本代表ヘッドコーチなどを歴任した後高校野球界に身を投じた長沢監督。神村学園ではチームを選抜準優勝にも導いた指揮官を招きチームを創設したのが2010年でした。既に還暦を迎えたこの長沢監督が、最後のご奉公に選んだのがこの創志学園ですね。そのチーム作りの手法に賛否はありますが、強くするということにかける情熱は満点。名門校がずっと群雄割拠の時代を続けている岡山の高校野球界に、ハレーションを起こす存在になっています。岡山には行く機会も多く、町の地図も頭に入っているのですが、今岡山県の高校野球界を引っ張る新旧の代表格である、この創志学園と関西高校。学校が本当に、びっくりするぐらい近くにありますね。歩いたら2,3分じゃないでしょうか。夏の県大会前なんか、お互いの火花がバチバチ散っているんじゃないかなあ・・・・なんて、考えたりしています。前回2011年出場の時は、チーム結成わずか1年で下級生ばかりのチームでしたが、大舞台では臆することなく自分たちの野球をやりきった感じがありました。選手宣誓も確か、創志の主将だったですよね。。。あれからはや5年。この五年という年月は、長沢監督や学校関係者にとって、果たして長い年月だったのか、それともあっという間だったのか。なかなか試合後のインタビューなども面白い長沢監督。今年のチームは、剛腕高田でひと波乱を狙っています。

 

四国代表  高 知  (高知)     21度目(3年連続)    優勝1回 準優勝1回
                    夏13度出場  優勝1回   甲子園通算37勝31敗      

高知が3年連続で選抜に出場です。実は高知は、夏の選手権には09年以来ご無沙汰です。何度も何度も明徳に挑みながらその都度跳ね返され、そして昨年はその明徳が対戦前に敗れたにもかかわらず、高知中央に敗れて甲子園はならず。そんな悔しい、殻の破れない年が続いています。しかしながら、その間センバツには今年で6回も出場、すっかり「春の高知」になってしまっていますね。今年のチームは、ライバル明徳を県大会、四国大会と2度破り、四国を制しての出場です。過去のチームと比べてもかなり力を持っているチームで、期待は大きいですね。最近の高知は、選抜では確かな足跡を残してきています。一昨年は東洋大姫路を破り、昨年は履正社を破るといった強豪を撃破する勢いも出てきていますし、今年は上位進出の期待も十分ですね。いつの時代もオーソドックスな、高校野球らしい野球で戦う高知の活躍、地元では大いに期待されていると思います。


昨年の記事 ⇒

高知といえば、70年代までに優勝2回、準優勝1回を誇る高知の名門校として、名をはせていたチームです。その頃までは高知商・土佐と並んで「高知3強」と言われ、00年代以降は明徳の最大のライバルとして、いつも覇を競い合ってきて今に至ります。選抜は2010年代以降で5度目の挑戦となりますが、なかなか上位進出を果たせず、明徳には大きく水をあけられている現状があるだけに、今大会では何とか昨年を超える2勝を挙げ、夏に明徳を迎え撃つ態勢を整えたいところですね。高知といえばえんじの早稲田カラーのユニフォームに身を包んで・・・・・・というところまではわかるのですが、今一つ「どういった特徴を持ったチームなのか」という事がわかりづらい最近のチームという感じはします。岡本監督の時代は粘り強く正統派の野球をして接戦をものにするチームという特徴があったと思いますが、島田監督になって少しそのあたりがぼやけてきて、今はあまりよくわからなくなっています。必ずしも勝っていくためにチームの特徴づけをする必要はないと思いますが、チームの中を流れるDNA、というところがあって、強くなるチームは毎年強くなってくるのだと、ワタシは思っているんですがね。この選抜も「明徳不在」の中での高知の出場。ライバルいぬ間に、甲子園で自信をつけていきたいところです。


その前の記事 ⇒

高知高校が、4年ぶりに甲子園に帰ってきました。前回はライバルの明徳義塾がとってきてくれた「明治神宮枠」での出場。しかし今回は、秋季四国大会を制しての、堂々の出場です。しかしなあ。。。。。森木(阪神)のいた3年間、すっぽりと抜け落ちてしまっているんだよなあ。「森木がいれば、全国制覇が狙える」と大いなる期待を寄せていましたが、結局1度も甲子園の土を踏めず。すべてライバル・明徳の恐ろしさというものを感じるだけの3年間となってしまいました。しかしこういった「超絶に強いチーム」だとか「スーパースターがいるチーム」だとか、そんな年のポスト年の方が、実は結果を残している・・・・なんてこともよくあることではあります。例えば07年に、中田のいた大阪桐蔭が夏の切符を逃したのに、地味と言われた翌08年のチームがまさかの初の全国制覇を達成。。。。。。。とか、高校最速の160キロを投げる二刀流エース、大谷の花巻東が12年に夏の切符を逃すと、かなりスケールが落ちるといわれた翌年のチームが夏の甲子園4強にまで進出。。。。とかですね。そういう意味で、「ポスト森木」の今年の高知のチームが、いったい甲子園でどんな戦いをしてくれるのか、非常に興味があります。そして、この春の選抜で得た自信とか経験を持ち帰り、今年の夏こそ明徳義塾を破って、真夏の聖地へ勝ち上がってきてほしいと思っています。


その前の記事 ⇒

高知県とは浅からぬ因縁を持ち、高知県代表を応援し続けているワタシ。そのワタシにとって、高知商、土佐らと並んで特別な響きを持つ高校がこの高知です。早稲田カラーのえんじのアンダーシャツを身にまとい、胸にKOCHI。そのユニを見ただけで胸躍ってしまうワタシがいます。ワタシが高校野球にどっぷりはまったころの昭和50年代、高知と高知商、その2チームは本当に強かった。これに土佐を加えたつばぜり合いの中、甲子園にどこが出場するかは、大いに注目の的でした。そして出場したチームは、8強は当たり前。そんな時代、高知県はわずか20数校の加盟校しかないにもかかわらず、全国屈指の「野球強豪県」として君臨していました。そんな中で高知高校。ワタシが物心ついたときは、有藤、弘田らの卒業生がロッテで活躍しており、そのころはそんな関係でロッテを応援したりもしていましたっけね。ワタシが強烈に印象に残っているのは、75年春の選抜。原辰徳がいた東海大相模を決勝で下して選抜初優勝を成し遂げた年です。高知には三塁手に”超高校級”のスラッガー杉村が君臨。東海大相模・原とのスラッガー対決に、甲子園は大いに沸きました。この決勝の写真の中に、タイムリー3塁打の後3塁ベース上に立つ原に、杉村が何やら話しかけているというものがあります。その写真、「恰好いいなあ」と子供心に、大いに刺激された思い出がありますね。そのころはまだ、「スター選手」といえばまずサードを守っていた・・・・・そんな時代でした。延長13回で10-5の決着。それまでの甲子園で、そんな決着の仕方をした試合はあまりなかったので、この打撃戦には大いに酔いしれました。この高知のチームの中に、現在の春日部共栄の本多監督がいたりするんですね。だから、春日部共栄のユニフォーム、高知とそっくりでしょ。そんな高知ですが、甲子園で輝きを放っていたのはこの70年代まで。80年代になると、その勢いはぱったりと止まり、高知商、そして明徳にいいようにやられてしまう時代を迎えてしまいます。県内を勝ち抜けないのはもとより、県内を勝ち抜いても甲子園では思ったような成績を上げられないこともしばしば、という感じで今日まで来てしまっています。県内の公式戦、とりわけ夏の選手権大会予選で、明徳の前に屈したことは数知れず。80年代から2013年までは、甲子園に13回も出場しながらその間わずか3勝。3勝12敗というあり得ないような戦績で、明徳には何か腹に一物持っているベテランのファンにさえ「やっぱり明徳じゃなきゃ、甲子園では勝てん」とまで言われていました。しかし、2013年選抜で、本当に本当に久しぶりに、高知のエンジのユニが甲子園で躍動する姿を、目に焼き付けることができました。今までのうっ憤を晴らすような活躍で4強まで進出。準々決勝で優勝候補の仙台育英を破った時は、「こりゃ、優勝まで駆け上がるかも」と期待しましたが、準決勝で同じ四国の済美に接戦で敗れて頂点までは届かず。「絶対に勝てる」と思っていた試合を落としたので、かなりへこみましたね、あの試合は。これで『名門復活ののろしを上げたか?』と思いましたが、この辺りからまた明徳が勢いを盛り返してきて、厳しい戦いを強いられています。何しろ、2011年から2015年までの5年間、常に明徳と決勝で対戦すると、図ったようにすべての試合で1点差負け。接戦に持ち込んでいるだけ、本当に悔しい負けが続いているのです。そうこうしているうちに、2016年は中村に、17年は梼原に決勝に到達する前に敗れて、明徳の前までたどり着くこともできず、昨年の夏の大会後はワタシも高知高校のチームとしての退潮傾向を感じざるを得ませんでした。しかしながら、昨年の秋。高知高校は秋季四国大会の8強で敗れるものの、その四国大会を制した明徳義塾が明治神宮大会も制して「明治神宮枠」を持って帰ってくれたおかげで、まさかの選抜出場が転がり込んできました。例年の枠数であれば、考えられなかったことです。しかも長年のライバルであり、常に頭を押さえられる続けてきた明徳のおかげで、甲子園が転がり込んできたんです。明徳には感謝しつつ、これはやるしかないでしょう。こんなチャンスはなかなかないだけに、実力云々はさておいて、甲子園で「ここに高知あり」を証明してもらいたいと思っています。本当に楽しみな選抜です。



四国代表  阿南光 (徳島)   
  2度目(32年ぶり)   
                   夏2度出場      甲子園通算 3勝3敗

阿南光という校名になってからはこれで2019年の夏に続いて春夏2度目の出場。しかしながら、鮮やかに記憶に残るのは新野高校時代の姿でしょう。甲子園に出場したのは1992年の春、96年の夏。春に全くの初出場校として登場してきたとき、ワタシをはじめ高校野球ファンは思ったはずです。「四国の初顔には要注意」と。そう、四国から選抜に初顔として登場する学校は、「甲子園で何かをやる」というジンクスがあったんです。思い出に残っているところとしては、74年の池田(池田はその前に夏は1度出場していますが。。。。)。蔦監督に率いられたイレブン池田の快進撃、準優勝は衝撃を与えました。そしてそのコーフンも冷めやらぬ77年には中村が今度は部員12人の「24の瞳」で同じく準優勝まで駆け上がりました。そして79年には川之江が鍋島投手で進撃、8強入りしてあの牛島ー香川の浪商と延長の大激闘を戦いました。そして85年には伊野商が渡辺投手を擁してKKの最強PLをも破り初出場・初優勝を飾りました。さらに88年には宇和島東が初出場初優勝。。。。そう、80年代までの「四国の初顔」は、ホント強かったんですよ。そして、そのどの学校も県立高。そんなところもまた、「ああ、野球どころ、四国の野球だなあ。」なんてワタシは遠い目になっちゃう・・・・ってわけです。 おっと話を戻して。。新野が初出場した93年春の初戦は、なんとあの横浜。アンダースローの好投手・部坂と強力打線で優勝候補の一角にも上がっていたチームで、案の定新野は終盤まで押されっぱなしの展開だったんですが、8回に何かつきものが取れたみたいに反撃を開始。つながるつながる・・・・・・と打線がつながりまくって一挙6点を挙げて大逆転。この「四国の初顔」もまた、センセーショナルな甲子園デビューを飾ったのでした。そして次に甲子園に姿を見せたのが96年夏。ここでも新野は素晴らしい戦いを展開しました。初戦を完封で飾ると、2戦目に激突したのは隣県の強豪・明徳義塾。この時の明徳も吉川投手を軸にかなりの実力を持ったチームでしたが、新野は粘りを見せて3点ビハインドの7回に同点、そして9回に勝ち越して大金星をあげました。とにかくこのチーム、粘り強くて集中力があって、本当にいいチームでした。その後監督が代わって低迷期に入り甲子園とは全く縁がなくなりましたが、阿南光に変わってまた甲子園に近いチームになってきましたね。前回2019年の夏は何もできずに敗れ去りましたが、今回は新野時代のDNAを発揮して、粘り強い戦いを見せてほしいと思います。



(つづく)




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« SUPERBOWL LVIII  チーフス... | トップ | ここ数日で考えたこと »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

高校野球」カテゴリの最新記事