新型コロナ禍で日本中が外出を控える中、
ショックな訃報がもたらされました。
プロ野球の大洋、ヤクルトで監督を務めた関根潤三氏が、
93才の人生を全うされ、
天国への階段を昇られました。
いつまでもお元気な姿を見せてくれていたのに、
本当に大ショックです。
志村けんといい関根さんといい、
こんなわさわさとした世相の中、
ワタシの大好きな人たちが去って行ってしまう。。。。。
寂しさが募っています。
関根さんと言えば、
最近はラジオの解説でお耳にかかることが多かったのですが、
年をとっても穏やかな語り口の中、
鋭い指摘がしばしば語られ、
大好きな解説でした。
そしてなんと言っても、
大洋、ヤクルトの監督時代の姿が目に浮かびます。
関根さんと言えば、
巨人の監督を1980年に辞任して浪人生活に入った長嶋茂雄さんのことを一番気にしていた人。
大洋の監督の時もヤクルトの時も、
「長嶋が僕の後に監督を引き受けてくれるのであれば、いつでも譲る用意がある」
と言っていた人で、
そのためにどちらのチームにも色を付けないチーム作りをしていたということを感じていました。
特に大洋の時は、
大洋球団が長嶋監督の招へいにとても熱心だったため、
実現の寸前までいったという思い出がありますね。
ヤクルトの監督の時も、
選手に細かいことは言わずにのびのびとプレーさせていたという印象が強いです。
そのヤクルトの80年代後半のチーム、
たくさんの若い選手が結果を気にせず、
明るいいいチームを作っていました。
細かい野球、勝つために選手を縛る采配を振るわなかったため戦績は残りませんでしたが、
ワタシはとっても大好きなチームでしたね。
特に打撃は、
池山、広沢、パリッシュに栗山、笘篠など、
のびのびとプレーしていました。
負けても負けても、
選手たちのプレーを見に、
神宮に足を運ぶファンはいっぱいいましたし、
「神宮ギャル」がたくさん誕生しました。
その『色のついていない選手たち』が、
後任の野村監督に「野球力」という色を付けてもらって90年代に黄金時代を築いていくわけです。
強いヤクルトの基礎作りをしたのは、
関根監督だとワタシは思っています。
ワタシも東京のあたりの出身なので、
関根監督とか土橋監督とか、
「江戸っ子」っていう感じの「気にしねえ」っていう気質を持った監督、
なんだか好きなんですよねえ。
きっぷと人情のお祭り監督ですよ。
今じゃあすっかり少なくなってしまいましたが、
そんな風情を持っているの数少ない監督の筆頭は、
高校野球の日大三、小倉監督ですかね。
そういえば関根さんも、
三高のOBですもんね。
西武の基礎をつくった根本陸男さんも、
三高のOBです。
あの穏やかな中に何とも言えない味を持った「おじさん」、
関根監督。
ワタシに野球の楽しさというものをいっぱい教えてくれた関根監督を、
万感の思いをもって見送りたいと思います。
ありがとうございました、関根監督。
絶対に忘れません。
合掌
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