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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

選抜出場校  こんなこと思い出しました (その6)

2016年02月17日 | 高校野球

思いつくまま、気の向くままの連載記事。
第6回『近畿編その2』です。



≪選抜出場校 思い出編6≫


近畿代表  明石商(兵庫)     初出場  夏出場なし

今も昔も、変わらぬ高校野球の大激戦地である兵庫。報徳学園と東洋大姫路が東西の横綱の位置にドーンと座り、周りを名門の育英、滝川、神港学園や新顔の神戸国際大付などの強豪が固める図式は、長い間変わりがありません。そんな中、ちょこちょこと”新顔”が甲子園に登場してくるのも兵庫の特徴。関学、洲本の復活とか、加古川西、社、市川、西脇工などの初出場など、話題には事欠きません。そんな中、春夏通じて初出場を決めたのが明石商。明石市からの公立校の出場ということで言えば、あの中京商との延長25回を戦った伝説の明石高校(当時明石中)や、ただ一度だけ甲子園で戦った明石南などが思い浮かびます。この明石商は、05年に明石市がスポーツの活性化のため公募した枠でやってきた、元中学野球の名将・狭間監督が率いているということで、当時話題を集めたものでした。ワタシもこの学校には注目していたので、何度か練習試合に足を運んだことがあります。その時の印象は、『なかなか良く鍛えられた、いいチームだ』というもの。それゆえ、いつこの学校を甲子園で見ることができるのか、ひそかに楽しみにしていました。昨夏は兵庫県大会で強豪を連破してスルスルと勝ち上がっていたので、『もしかしたら』と期待していましたが残念ながら決勝で敗退。しかしそのすぐ後の昨秋の県大会で、報徳学園らを破り優勝。近畿大会も予想通り4強まで勝ち上がり、ようやく甲子園切符を手にしました。明石市民も、盛り上がっていることでしょうね。できれば報徳とアベック出場してほしかったという思いはありますが、報徳以上の活躍を期待しています。名門・明徳義塾で高校、中学の指導者として何度も大舞台を踏む経験を持つ狭間監督が、チーム初めての大舞台でどのように選手を導くのか。そのあたりに注目して、選抜での試合を見ていこうと思っています。




近畿代表   智弁学園(奈良)   10度目(2年ぶり)
                            夏17度出場 甲子園通算 27勝26敗  

奈良県の高校野球と言えば、ここ40年以上にわたり、天理と智弁の2強が君臨している地区です。両校のライバル関係は古く、本格的にライバル関係に入るのは昭和50年代を迎えた頃からと言えるでしょう。智弁学園に、高嶋監督が就任してからです。天理のバイオレット軍団と言われる紫色に対抗して、智弁は鮮やかな茜色、オレンジ軍団です。当時から両校ともにユニフォームも全く変わらず、その強さは相変わらず。伝統を引き継ぐこの両校の対戦、夏の予選を、現地でぜひ見てみたいカードですね。智弁と言ってワタシの印象に残っているのは、やっぱり高嶋監督の時代。最初に高嶋監督がチームを率いて選抜に出場した76年、チームは8強まで進出しました。阪本投手という、いい左腕のエースがいました。そして77年、エース山口哲司(元近鉄)を擁して、ものすごく強いチームを作って選抜に2年連続で出場してきました。安定した投手力と鋭い攻撃。現在の智弁和歌山を彷彿とさせるようなスキのない好チームで、土浦日大、銚子商、早実と関東の名うてのチームをこともなげに撃破していったという思い出があります。その大会をきっかけとして現在まで、何だかワタシは相手ベンチに高嶋監督がいると『負けそうだなあ』という感じがしてくるんですね。苦手意識が、バリバリにあります。結局箕島にまさかの完封負け(0-2)を喫して頂点に上り詰めることはなかったのですが、その夏も連続して登場。夏は2度目の甲子園でしたが、大会初日の第3試合で激突した星稜戦は忘れられない試合です。智弁・高嶋監督と星稜・山下監督の【若き闘将対決】。智弁・山口に対して星稜は小松(元中日)がエース。キラ星のごとく好投手が出場していた大会にあっても、大会屈指と言われた両投手の”静かなる投手戦”は、心にいつまでも残る素晴らしい試合でした。この試合を扱ったその夜の『ああ甲子園』という朝日放送の番組、今でもワタシの心に深く刻み込まれています。その後の両監督の歩みは、改めて紹介することもないほど。高校野球に大きな影響を与えた名将であり、素晴らしい指導者・教育者ですね。そんな智弁学園ですが、初期のセンセーショナルな登場から見ると、甲子園通算成績が26度出場でわずか27勝、そして決勝戦にもまだ出たことがないというのは意外です。ライバル・天理は春夏3度の全国制覇を経験していますので、何とか甲子園の大舞台で『智弁学園ここにあり』というのを見せたいところですね。また、ずっと後にできた兄弟校の智弁和歌山が高嶋監督に率いられ全国の『常勝チーム』になっているのと比較すると、悔しさを感じているOBも数多いかと思われます。そろそろそんな思いを払しょくしたいところですね。ここ数年、青山投手や岡本選手のように、『大会注目選手』が軸に据えられることが多い智弁学園。『あのころの輝き』を取り戻すのは今のような気がしています。いつやるの?いまでしょ!




近畿代表   市和歌山(和歌山)    5度目(11年ぶり)
                                夏4度出場 甲子園通算 10勝8敗   

市和歌山というよりも、『市和商』と言った方がまだ、通りのいい学校です。記録を見ると、60年代中盤に一度チームが強かった時期がありますが、その後はあまり甲子園で見かけることはありませんでしたね。00年代に入って、ようやくその”古豪”が復活してきたと言ってもいいかもしれません。和歌山県の高校野球と言えば、70年代から80年代後半にかけては尾藤監督の箕島の1強時代が続き、その後80年代後半から最近までは、まさに高嶋監督の智弁和歌山1強時代。他の高校は、時折甲子園に顔を見せても一過性に終わり、その”1強”の厚い壁を破ることができないというのが、和歌山の高校野球の歴史ですね。市和歌山に関して言うと、04年夏の玉置投手(元阪神)の好投や、05年春の川端選手(ヤクルト)のホームランなどが、かすかに浮かんでくる程度ですが、一昨年夏の甲子園初戦、鹿屋中央戦の延長でのサヨナラ負けのシーンは、鮮烈な印象があります。サヨナラのピンチ、1死ランナー3塁での、2ゴロを魅入られたように1塁に送球してしまった2塁手の茫然とした表情。忘れられるものではありません。一瞬、ワタシも何が起こったのかわからなかったのですが、セカンドの選手も、極限まで練習を積み上げてきたからこそ、体が反応してしまったプレーなのだと思いましたね。それ以来の甲子園になるチーム。3年生は、その試合をスタンドで見ていたと思いますので、今度こそは歓喜の勝利を得て、校歌を甲子園にとどろき渡らせたいところでしょう。


(つづく)


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