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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

さらば怪童・尾崎! 後世に伝えられる【宿命の対決】

2013年06月14日 | 高校野球

【怪童・尾崎死す!】

今日のスポーツ紙には、
こんな見出しが躍りました。

尾崎行雄氏、
享年68歳。
早すぎる死でした。


尾崎氏を紹介する紙面には、
東映で5年間に4度の20勝をあげたことが書かれ、
その後は故障に悩まされて『太く短く生きた剛腕』
との表現がなされていましたが、
尾崎氏と言う名前でワタシが思い出すのは高校時代のこと。

その当時ナニワを代表するチームだった浪商のエースとして、
『高校野球最強』と言われた神奈川・法政二と繰り広げた死闘の数々です。

時は昭和30年代。
ワタシはまだ生まれていませんので、
伝え聞きの部分しかありませんでしたが、
関西出身で大の高校野球ファンであった祖父からは、
よくこの頃の尾崎の怪腕ぶり、
聞いたものでした。

さほど大きくない体から、
全身をバネのように使って投げられる速球は、
ギューンと伸びてきたそうです。

今日のスポーツ紙などには、
『全盛期には160キロ出ていた』
などという当時の同僚らからのコメントが出ていましたが、
計測された球の速さということではなく、
キレのある『本当の球威』を持っていたすごいピッチャーだったんだろうということが、
うかがい知れます。

まさに【記録よりも記憶に残る野球選手】だったのでしょう。

それにしても法政二と浪商のライバル対決。
【名勝負数え歌】
の趣きがあって、
当時を知らないワタシにとってもドキドキする物語ですね。

法政二のエースは、
のちに巨人で【赤手袋の盗塁王】になる柴田勲。
そして対する浪商のエースが、
この尾崎行雄でした。

両チームの初対戦は1960年夏の二回戦。
浪商は既に甲子園制覇三回を誇る【超名門】でしたが、
当時の法政二はまだ【神奈川の新興勢力】の扱い。

ちなみに、
戦前から戦後のこの年ぐらいまでは、
高校野球は『東海と関西』の二強に『四国』が加わった三地区が圧倒的な強さを誇っていました。

関東では、
東京がわずかに【強豪】のカテゴリーにかろうじて指をかけてはいたものの、
さほどではありませんでした。

神奈川と言えば、
わずかに1949年に湘南が初出場初優勝したのが残るぐらいの、
『その他大勢の県』
のひとつでした。


しかし法政二がこの流れを変え、
昭和40年代以降は、
『高校野球の強豪県』
としての地位を確立していったと思います。

そういう意味でも、
法政二の存在なしには『神奈川の高校野球』は語れない強豪です。

そしてこの法政二の『完璧なチーム』ぶりは、
長く高校野球史に輝いています。


なにしろ、
広島商、中京商(当時)に代表される【高校野球戦術】は、
『足と小技で点を奪って、堅い守りで逃げ切る』
というもの。

現在の高校野球とは一線を画しています。

しかしこの法政二高、
何しろ強力打線でよく打った。

高校野球の概念を変えるほどの強力打線だったみたいですね。
しかも守りを一手に引き受けるのは安定感抜群の剛腕・柴田。

『まず負ける姿が想像できない』

ような完璧なチームだったようです。

1960年夏、
そして1961年春。

完璧な戦いぶりの法政二は、
楽々と夏春連覇を達成しました。


その頃から怪童と言われた尾崎との対戦は二度。

まずは1960年夏の二回戦。 

法政二 4-0 浪商

そして捲土重来を期した1961年の春の再戦。

法政二 3-1 浪商


尾崎はこの、
『届きそうで届かない敵』
に対して、
二度の対戦で見事に玉砕していました。


そして法政二が、
甲子園初の『三連覇(3季連続制覇)』を狙って甲子園に乗り込んできたのが1961年の夏。
この年が尾崎との、
最後の【宿命の対決】となりました。

この大会でも『完璧な勝利』を続ける法政二に対して、
尾崎も大会に入ってからは絶好調。
三試合を投げて1失点の堂々の投球を見せて、
ついに準決勝の法政二戦に挑みます。

この試合、
尾崎の速球は切れていたようですが、
そこはさすがの法政二打線。
一,四回に得点を挙げて2-0。

柴田の出来から行ってこのビハインドは重く、
『法政二がまたも逃げ切って3連覇に王手』
という空気が球場に流れ出したそうです。

もちろん甲子園という球場の地元は大阪。
『今度こそ浪商』
という期待は大きく、
回を追うごとに大声援に包まれていたようですね。

見事に『ヒール役』に回った法政二と柴田には、
じわじわと重圧がかかっていったんだと思われます。

そして9回。

法政二は、
2アウトを取って”あと一人”の状況ながらランナーは満塁。

そこで迎えたのはエースの尾崎。

【甲子園の神様】は、
心憎いばかりの『場面演出』をして、
尾崎をバッターボックスに送り出しました。

果たして、
尾崎が捕らえた打球は、
三遊間を真っ二つ!
二塁ランナーまで帰って同点!!

ついに浪商が法政二を二年越しで捕らえた場面でした。


同点となれば、
あとは球場の雰囲気にも押され『ナニワの誉れ』浪商の勝利は、
決定づけられていたも同然でした。

疲れの出るはずの9回、10回、11回。
尾崎のピッチングは、
ますます冴えわたり、法政二の強打線もその速球に全く手が出ず。

ついに延長11回に2点を挙げた浪商が、
宿敵・法政二の三連覇を阻止したのでした。


その試合を見ていた人たちにとっては、
この激闘や尾崎の怪腕、
50年経った今も、
鮮やかによみがえってくるシーンのようです。

日本の多くの高校野球ファン、
そして国民に、
『忘れられない一瞬』
を残してくれた高校野球のヒーロー。

忘れようったって、
忘れられるものじゃあ、
ありません。

何十年経っても語りつくせぬほど語られる、
それこそが『スポーツのチカラ』だと、
本当に思いますね。

また一つ、
『激闘は天のかなたに』
行ってしまいました。

しかし、
いつまでも、いつまでも、
激闘の記憶は語り継がれていきます。


ありがとうございました、そして安らかに。
尾崎投手!
その雄姿忘れません。


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