第104回の夏の甲子園は、
仙台育英が初めて東北勢として栄冠に輝いた大会として、
長く人々の記憶に残る大会となりました。
仙台育英は、
およそ60年前の1963年夏の大会に甲子園初出場。
そこから”宮城の雄”として出場を重ねること、
春は14回、そして夏はなんと29回。
通算54勝を挙げて、
東北の中では最多の勝利数を上げる東北高校野球界のリーダーとして君臨していますが、
何しろ初出場から60年間で29回もの夏の甲子園出場があるんですね。
およそ2年に1回は甲子園に来ている計算になります。
常に強豪という名で語られる同校ですが、
それでも大旗までの道のりは長かった。
ワタシの記憶の中で、
初めて「仙台育英」の名が刻まれたのは、
う~ん、75年のセンバツかな。
初戦で大阪の近大付と当たった仙台育英、
その初戦を飾ったのをよく覚えています。
当時はワタシも北国のチームを熱狂応援していたので、
仙台育英の勝利にはかなり留飲を下げた思いだったように思いますね。
何しろその当時の甲子園の報道。
北国のチーム、そして沖縄のチームには等しく、
「ハンディを背負っていながら、素晴らしい戦いをする」
というくくりでとらえていましたから。。。。
子供心に、
「大変なところからきて、甲子園で勝つなんてすごい」
なんて思っていたものです。
当時の高校野球雑誌などを見ると、
仙台でもかなりの積雪が見受けられますね。
雪の真っただ中を走ったり長靴でノックを受けたり・・・・・・
それが定番の”画”でした。
仙台育英は夏も登場して、
この時は選抜と同じ大阪の興国と大会初日に対戦。
しのぎ合いになりましたが敗れて甲子園を去っていきました。
興国・・・・
なつかしいなあ。
この大会までは、
大阪で強豪として名をはせていましたっけね。
(最近また、元智辯和歌山、喜多監督の就任で息を吹き返してきていて、ワタシの「甲子園で見たい古豪」の一つに名を連ねています。でも今の時代、大阪桐蔭あり履正社ありで、当時よりもずっと甲子園に出場するの、難しくなっていますからねえ。。。頑張ってほしいです。)
その後の昭和50年代は、
宮城県は東北と仙台育英の2大巨頭が代表をめぐりしのぎを削り合う時代となりました。
東北は竹田監督、仙台育英は金沢監督が率いて、
いつも県大会で雌雄を決していた記憶があります。
しかし全国の舞台では、
東北がずっとその存在感を示していたのに比べ、
仙台育英はあまり存在感を示すことはできませんでしたね。
唯一輝いたのは78年夏、
剛腕・大久保投手が輝いて高松商と延長17回の激闘を戦った年でした。
仙台育英・大久保と高松商・河地の投げ合いは、
昭和の高校野球のエキスがたっぷりと詰まった、
凄い投手戦でした。
延長17回の決着は河地のサヨナラ死球。
「泣くな河地」
と紙面に文字が躍っていた試合で、
仙台育英は勝利をあげました。
しかしライバル東北は、
昭和50年代は毎年強打&好投手のチームを作って甲子園に出てきて、
「いつかは全国制覇」
と意気軒高でした。
昭和60年には剛腕・佐々木(のちの大魔神)を擁して春夏ともに8強に進出。
しかしこのすぐ後、
宮城県の球界に激震が走ります。
なんと東北高校の名将・竹田監督が、
ライバルの仙台育英の監督に就任するのです。
これには県内のみならず、
全国の高校野球ファンがびっくり仰天。
「こんなことがあるんだあ・・・・・」
と興味津々に見守っていると、
ずっと東北の後塵を拝していた仙台育英が、
次の年「竹田育英」としてさっそく甲子園に出場。
これにもまた、
驚かされました。
そしてそのユニフォームは、
見慣れたアイボリーのユニフォームではなく、
グレー地で胸にIKUEI、
そう、今に至る「伝統のユニフォーム」でした。
このチーム、
実力は今一つだったものの「背中からにじみ出る気迫」を武器に、
なんと竹田監督就任1年での栄冠でした。
これが仙台育英の今に至る「再出発点」となりました。
そして89年、
大越基をエースに攻守にまとまった戦力で秋の東北大会を制覇した仙台育英が、
センバツにやってきました。
大会屈指の右腕と評判の大越を軸に、
評判の高かったこのチーム。
しかし選抜では、
元木、種田らを擁してチーム力がピークにあった上宮に、
準々決勝で完敗。
捲土重来を期して臨んだその年の夏の選手権で、
仙台育英は躍動します。
大越の気迫のピッチングと得点力の高い好調な打線。
向かうところ敵なしで準々決勝まで勝ち進んできた仙台育英は、
運命のいたずらか、ここでまた上宮のくじを引いてしまいます。
上宮は選抜で準優勝。
夏も初出場ながら自信満々、
「優勝するのは俺たちしかいない」
とばかりの進撃を続けていました。
対戦が決まった時の元木の表情などを見ても、
「俺たちが負ける訳ね~だろう」
という感じがありありで、
ワタシも「仙台育英、分が悪いなあ」
と思わざるを得ませんでした。
しかしまさに「事実は小説よりも奇なり」を地で行く試合となりました。
中盤まではほぼ互角で進んでいたこの試合。
6回に仙台育英が1点を挙げ2-0とすると、
ここで初めて上宮に焦りのようなものが感じられました。
すると7回、
それまで好投していた宮田が仙台育英の打線につかまり、
育英の打つわ打つわの猛攻撃に耐えきれず、
元木も薄ら笑いが苦笑いに、そしてあきらめの表情にと表情が七変化。
仙台育英はこの回なんと7点を挙げて試合を決め、
難敵を下して準決勝に進出したのです。
準決勝はこれも難敵の尽誠学園。
エース左腕宮地を軸に、
あの谷(元オリックス)もメンバーとして活躍するチームで、
仙台育英は前日の上宮を破ったことでややモチベーションも下がったか、
大苦戦を強いられました。
試合は9回の土壇場に尽誠学園が追いついて10回へ。
1死2塁のチャンスをつかんだ仙台育英は、
ここで大越がセンターへヒット。
しかし。。。。。
名うてのセンターだった選手がこの打球を取ると、
ホームにまさにレーザービーム。
ランナーはホーム寸前タッチアウト。。。
まさかのプレーに仙台育英ベンチは意気消沈・・・・・・と思いきや、
盛り上がってイケイケの風情。
そして次打者もまた、
打球をセンター前に運びました。
前の打者の時に2塁まで進んでいたランナー、
またもホームに突っ込んできます。
「ああっダメだ~~~~」
という悲鳴もこだましましたが、
このセンターからのバックホームは逸れてホームイン。
この1点が決勝点となって、
仙台育英は東北勢初制覇をかけて、
決勝で帝京と相まみえることとなりました。
帝京も仙台育英も、
甲子園初制覇をかけて臨んだこの決勝戦。
平成初の甲子園決勝として、
球史に残る戦いとなりました。
試合は剛腕・大越に対して帝京のエース・吉岡も好投。
両軍チャンスをつかめないまま0-0で9回を迎えました。
裏の攻撃の仙台育英、
ここで2死から特大の3塁打が出て、
サヨナラのチャンスをつかみます。
「さあっ決めろ!!」
日本中のファンが祈ったこのチャンスに、
次打者はあえなく凡退。
試合は延長に入り、
連日の激戦の疲れからすでにいっぱいいっぱいだったエース大越は、
10回表に2点を取られてジ・エンド。
大越の激闘に心打たれながら、
またも悲願が成らなかったこの決勝に、
人々は甲子園の神様に恨み節をこぼしたのでした。
その後仙台育英は、
名将・竹田監督の下、
毎年強力なチームを作り甲子園に出場してきました。
90,91,92,94,95と、
6年間で春夏7回甲子園にコマを進めましたが、
残念ながら上位進出はならず。
この間は5勝7敗と、
苦しい試合が続きました。
95年限りにベテラン・竹田監督が退任すると、
後任には若い佐々木監督が就任しました。
佐々木監督は最初の5年間、
毎年甲子園に欠かさず出場してきたものの戦績は残せず。
しかし6年目の01年選抜で、
前年からのエース芳賀を中心に攻守でまとまった戦力を軸に快進撃。
決勝まで進出しました。
決勝では常総学院のしたたかな野球の軍門に下りましたが、
見事な戦いぶりだったと思います。
東北が相対的に沈んで行ったこの90年代は、
仙台育英の独壇場でしたね。
しかし何か新機軸を確立することができず、
甲子園では同じような戦いを続けて、
同じように敗れていったという戦いぶりでした。
その佐々木監督も、
ダルビッシュを擁した東北が再浮上した00年代の前半には5年間甲子園への出場がなく、
久しぶりに出場した07年ぐらいからは、
少し戦い方、チームの構成も変わってきたように感じました。
06・07年に剛腕エース・佐藤由を擁して3季連続甲子園出場で復活。
08・10年には左腕木村を擁して上位をうかがう態勢を再構築してきました。
かつてに比べて、
打線がしっかりと振り切って打球を飛ばすようになっている感じがして、
殻を破った感の強いチームでした。
13年、15年のチームはいずれも秋の明治神宮大会を制し、
『秋の全国制覇』を達成した強力なチームで、
15年はそのチーム力を発揮して、
夏の選手権で準優勝に輝きました。
佐藤の激投、
今も瞼の裏に浮かんできます。
この13年からの3年間は、
まさに仙台育英が「脱皮した」と強く感じることができて、
一時は光星学院や聖光学院、花巻東などのその立ち位置をとってかわられたのではとみられていた仙台育英が、
やはり「東北の一番星」であるという事を強く意識させられる年でした。
この13年、15年のチームは、
波に乗りさえすれば全国制覇に届いていたチームだったと、
今でも思います。
ここで「名将」の名をゆるぎないものにした佐々木監督も、
選手権で春選抜優勝の大阪桐蔭を9回裏の逆転で破った年の暮れ、
17年に不祥事の責任を取って退任します。
そこで後任に白羽の矢が立ったのが、
現在の須江監督ですね。
こうしてみると、
金沢監督から竹田監督、佐々木監督、そして須江監督と、
それぞれに個性を持ちながらも、
徐々にチームが強くなっていったのがわかりますね。
前任者のチーム強化のメソッドを踏襲しつつ、
さらに一歩進めて自分色の強いチームを作る。。。
そういう感じがする、
仙台育英の歩みです。
中学野球の名将として名をはせた須江監督。
年端も行かない中学生をいっぱしにして全国制覇に導いたメソッドは、
高校野球でも十分に発揮されました。
「今いる選手たちをどう鍛えていくのか?」
という事に関しては、
本当に長けた監督さんだと思います。
18年にチームを引き継いだ須江監督、
さっそく新たなチーム作りに着手。
須江・育英の最大の特徴は、
複数投手の育成と継投でしょうね。
これまで須江監督は甲子園で13試合を行っていますが(10勝3敗)、
すべての試合で継投策を用いて、
3人以上の継投も今年を含めて多数あります。
「これが仙台育英の戦い方だ」
というのを色濃く反映させ、
高校野球に一石を投じる役割を担っていると思います。
5,6人の「使える投手」をローテさせて試合を乗り切り、
大会全体を乗り切る。
これこそが「令和の高校野球のスタンダード」になりそうな、
そんな予感がしています。
正直言って、
今大会でも選手の質は大阪桐蔭の方が上だったと今でも思っていますが、
それを凌駕する「全員で総力を挙げて戦い、巨大な相手を倒す」という戦い方、
なんだか掛け値なしに「スゲ~な~」と思っています。
ずっと強豪だった仙台育英ですが、
昭和の時代、そして平成、さらに令和。
戦い方を時代に即して変えてきていて、
それでいてずっと強豪の地位を外さず、
さらに徐々に全国の舞台でも結果を出してきている。
長いスパンで見ると、
これほど成功している高校野球チーム、
そうはないのでは・・・・・・と思ってしまいます。
さて、
これからは「追われる立場」が待っています。
特にこの新チーム、
ほぼ大半の好選手はチームに残り、
夏春連覇、そしてその先を狙っていくことでしょう。
重い十字架から解放された仙台育英が、
どんな姿でこれから大空に羽ばたいていくのか?
大注目ですね。
そういえば東北には、
スラッガー・佐々木擁する花巻東もいます。
今年の秋の東北大会は、
ものすごいことになるんじゃないか?
そんな気がしています。
それにしてもめでたい東北勢初の全国制覇。
遠く第1回大会で秋田中学が準優勝に輝いて以来、
「あと一歩」を記すことができず100年という悠久の時を経てしまいました。
それを破って新しい歴史を踏み出した仙台育英に、
改めて大きな拍手を送りたいと思います。
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いやあ、いい大会でした。
何だか3年ぶりに甲子園を見たような、
そんな錯覚に陥ってしまうようなコーフンでしたね。
明日の記事にでもして書こうかと思っていますが、
今大会のMVC(モストバリュアブルチーム)は、
なんといっても下関国際でしょう。
そして敢闘賞は近江。激闘は忘れ得ない余韻を残してくれました。
さらに応援賞としては国学院栃木。あの新世界より、感動しました。
そのほかにもエビカニックスとか、そのほかでも新機軸の楽しそうな応援が満載。素晴らしかったです。
今年はワタシも、
我慢できずに4年ぶりに甲子園旅行をしてしまいました。そして「やっぱり甲子園はいいなあ」を実感。来年以降も、やめられそうにありません。
いろいろなことを感じた結末が、東北勢初のVという事で、仙台育英の完璧なチームコンディションの作り方には感服して、大会を終えることができて良かったと思っています。
今後も東北勢、どんどん上位に進出してくるのではないかと予測します。仙台育英は、サッカーの青森山田を目指しているのかな?!
無双な戦いぶりは「令和の王者」に君臨する可能性が十分にあると思っています。大阪桐蔭の最大のライバルになりそうですね。
来年は両校の直接対決が、見たいですね。
そして来年の夏の甲子園では、ぜひ声援が解禁になっていることを望みます。
途方もない年月に、改めて甲子園の歴史を感じます。
近年の東北チームの躍進・・・いや、躍進という言葉はもう相応しくないようですね。
常にベスト4には東北のチームがいるように感じます。
それぐらい、当たり前のように近年の東北のチーム、または北陸のチームのレベルの向上ぶりは目を見張るものがあります。
青森の光星学院が連続で決勝に出た当時は、優勝するのも時間の問題だろうなと思っていました。
しかしそこからが意外と長かったー。
さて、仙台育英。
まったくノーマークでした。
出場すれば必ず上位に進出する強豪校ではありますが、優勝まではできない学校のイメージ。
野球に限らずサッカー、ラグビー、バレーも超強豪ですが、残念ながら優勝までは届かず。
唯一駅伝が幾度か優勝しているんじゃないでしょうか。
なわけで今回も全っっっく思ってもみなかったわけで。
しかーし今回ばかりは本気度が違いましたね。
尋常ではない投手陣の厚さ。
甲子園を勝ち上がっていくにはまさに理想的で最善の方法ではないでしょうかね。
大阪桐蔭と対戦していたらどうのような展開だったのでしょう。
見たかったなあ。
対抗の智弁和歌山が早々に敗退し、大阪桐蔭に太刀打ちできるのは近江ぐらいかな
高松商もひょっとするぞとワクワクしていたところに下関国際。
今年は意外な展開で思った以上に楽しめた甲子園でした。
PS
やはりブラバンの応援はいいですね。
炎天下のなかでの応援は想像以上の猛烈な暑さでしょうが
そんな中、サブの皆さんやチアの皆さん、みんな楽しそうな笑顔がとても印象的でした。
他球場と分散しての開催などが、一つの案として上がっていましたが、みんな甲子園でプレイ、応援したいのですよ。
日程調整でなんとかみんなが甲子園でプレイできるようにさせてあげたいですね。
おじさんとしては甲子園以外は考えられません。