本当の戦場の体験がある日本人は、もう100歳近くか、それ以上になってしまいました。
戦場を経験して生還した無名の日本兵のほとんどが、沈黙して語らない中で…
一部、地獄の戦場のありさまを語ってくれる人もいます。
建築の知識と技術があったため、戦闘員ではないものの、軍属として戦争を体験した私の祖父は…
「正しかったとか間違っていたとか、そういうことを言えるのは、本当の戦争を体験していない者だ」
「本当の戦争は、ただのこの世の地獄だ。戦闘員も非戦闘員もない。巻き込まれれば全員が地獄に落ちる」
「正しいことがあるとすればひとつだけだ。戦争になる前に、戦争にならないようにすること、それだけ」
「庶民は何も知らず、やむを得なくて戦争に巻き込まれた、というのは嘘だ」
「戦争の前も、勝っている間も、庶民の多くが戦争することを望んで、戦争を熱烈に支持していたんだ」
一般大衆も戦争を煽っていた…視点が今はかなり失われて、庶民はただの被害者のように思われています。
そのことを認めたくないから、あるいは忘れたいから、古老は黙して語らないか…
または、戦争を、台風や地震のような天災と同じ、避けられなかったこととして語って来たのかもしれません。
その背景には、新聞とラジオが政府に統制されて、戦争へと大衆を導いたという一面も、確かにあります。
でもその実態は、半分は不況や生活苦、社会不安のはけ口として、好戦論で盛り上がった大衆の雰囲気に媚びて…
「米英撃つべし!」「日本は必ず勝てる!」という報道を繰り返し、それを信じた大衆がまた盛り上がり…
という循環が出来上がって、軍部のうちの「戦争すれば破滅だ」と理解していた多くの指導者たちまでもが…
戦わざるを得ない状況に「追い込まれた」という部分があったようです。
庶民にも「戦争責任」がなかったとは言い切れないのです。
私はそのあたりの経緯、昭和初期の日本のマスコミ統制をテーマにして、大学の卒論にしたのですが…
使ったのは「史料」「文献」です。
史料は、忘れたり、物事を美化したり、時間とともに「記憶」を「思い違い」に変えたりはしません。
でも、実体験をした人の生の話は、いちばんエモーショナルな追体験をさせてくれます。
あと数年の後、そういう実体験を聴くこともできなくなったころ、日本人がまた、同じ地獄を見る。
そんなことになるのでしょうか。
あの当時とは兵器の進歩の度合いが段違いな現代でも…
戦場が地獄であることは、ウクライナ戦争をみればわかると思います。
今日は、東ニューギニアの戦場を体験した、100歳超の老人の証言を置いておきます。
ぜひ、細部に至るまでよく読んでみてください。
どうでしょうか。
戦没者は、勇ましく戦って亡くなった…のではない場合のほうが多い。
あの戦争では「本土決戦」が行われませんでした。
沖縄の方以外は、地上戦を経験していません。
もし、本土決戦が行われていたら…
当時とは比較にならなくくらい、食料生産力の低い日本が、もし今戦争をしたら…
考えると、背筋が寒くなります。
政府・行政主導で、昆虫食=コオロギや、イエバエの幼虫(ウジ虫)を食べる研究を進めて…
一般にも広めようとしているのは「そのとき」のためなんじゃないか?と、つい邪推してしまいます。
今日はここまで。