秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
と藤原敏行は詠みましたが...
今日うちの近くでとても大きなトンボ一匹と、赤とんぼ数匹を見かけました。
一方でまだ蝉が鳴いていたりするし、気温は真夏日だったりするのですが、季節が移ろいつつあるのが...
目にもさやかに見えるようになりました。
ところでうちのペッピーノさんのメーター類は基本アナログ表示なのですが...
一部だけ液晶によるデジタル表示なのです。
右側のオレンジ色の部分、走行距離とその積算表示がされているところです。
(これは走行距離の積算が10万キロになったときの写真)
その部分が最近徐々に、こんな風に薄くなって来てしまいました。
ちょっと分かりにくいかもしれませんが、夜になると全く見えないくらいに暗く薄くなってしまったのです。
写真をペッピーノさんを見てくれているマエストロに送ったところ、液晶がもう寿命で、薄くなって来ているのでしょうと。
交換するとなるとすぐには無理で、少しお時間をということなので、次の車検(古い車なのでもうあと2か月後です)までこのまま待つことにしました。
作られたのが約20年前の車。液晶も寿命はそんなものなんですかね。
前任車のメメは、メーター類はこんな風でした。
こちらは30年以上前、1990年代前半の仕様なのでオールアナログ表示。
これなら、経年劣化で計器類を交換する必要などなかったわけです。
単純に「持ち」=耐久性を考えたらやっぱりアナログの方がいいんですよね。
そう考えると、オールデジタル表示で、計器類丸ごと液晶もしくは有機ELパネルで出来ている、現代のそれなりの車格の車は...
パネルが古くなったら全とっかえで、大変なことになりますね。
液晶ならまだ15年や20年は行けるけれど、スマホやちょっと良いテレビに使われている、流行りの有機ELパネルは...
確かに液晶より精彩に映るし、見る角度で見え方が変わることがないので素晴らしいものですが...
だいたい5年で暗くなってくると言いますから。
スマホなら、どっちみち5年もしたら買い換えなければいけないものだからあまり問題ないですけれど...
テレビとか車とかだと、それっぽっちしか寿命がないのだとしたら、それは問題ですよね。
いや...それは私の特殊な感覚で、普通の人はテレビも車も、5年も使ったら買い換えるものなのでしょうか?
自信なくなって来ました。
我が家は物持ちが良くて、車は約30年同じメメに乗ったし、冷蔵庫は24年買い換えてないし、エアコンは23年、洗濯機もかれこれ20年近く使っています。
新しい製品は省エネ仕様で電気代がかからないのは分かってるんですけどね。
壊れてなくて、まだ使える物を買い換えるのはもったいない気がして。
CO2出しまくりの生活様式と言われればそうなのかもですけれど...
でも色んなものを早いペースで買い換えて、古いものを捨てるやり方だと、廃棄物が増えるから、これも環境負荷が強くかかるのではないかと。
何が正解なのかは、いずれ後の世代が身をもって知るのでしょう。
いつまで人類の文明がこのまま存続するのかは分かりませんが。
いずれにしても、デジタルなものよりアナログなものの方が、耐久性があるのは間違いないみたいです。
壊れたときも直しやすいし。
考えてみたら、いろんな電子的な記録媒体も、長年月の保存性は低いみたいですよね。
デジタルデータより紙、紙より羊皮紙、羊皮紙より木簡、木簡より粘土板や石版...という具合に、原始的な記録媒体の方が耐久性があります。
現代文明のいろんな記録や、私たちが作った文化的な作品、生きた証となるものは、古い文明のそれみたいに何千年も後にまで残ることはなく、時間の中に消えて行くのでしょう。
良いものも悪いものも。
千年前の人が詠んだ歌には今の私たちも触れることができて、いにしえの人の心に共感したりできますけれど...
今の私たちが残すものに、千年後の人類が共感してくれる機会が、はたしてあるのかどうか。甚だ心もとないです。
まあ、それでいいのかもしれませんけれど。