取った戸籍謄本から遡って、次々とその前の謄本を、現地の役所に申請するなど、書類を揃えるのに手間と時間がえらくかかる。
というわけでそういう作業をしていると、色々と自分が知らなかった事実を発見することもあります。
私自身の「出生の事情」が、親から聞いていたのとは明らかに違っている、動かぬ証拠が出てきたり。
自分が生まれたのは、親が「見合いで結婚」して、それから1年ほど経った後のことだと父から聞いていました。
ところが親たちの入籍の日付けを見ると、私が生まれた日の5か月足らず前のことではないですか。
え.....計算、合わないよね。笑笑
当時そんな早産で産まれて大丈夫な医療技術なかったよね。
見合いだったなら何でお腹に子どもが出来てからそんなに経つまで、籍入れなかったの?
普通に考えたら…これっていわゆる「デキちゃった婚」だよね。笑
いや別に「デキ婚」が恥ずかしいとか悪いなんて私は思わないですよ。
でも、60年間もずっとウソをつかれていたのだと分かると、やはりショック。
まあ、あの世代だとデキ婚が「恥ずかしいこと」と思うのは、分からなくもないけど...
そういうのって結局こうやって、どこかでバレるものなんだから。
見合いして、結婚した1年後に...なんて格好つけたウソつくことはなかったんじゃないかな。
見合い自体、本当はしてないよね?
考えてみたら我々夫婦の結婚記念日に「お父さんたちの結婚記念日はいつなの?」と聞いても「さあいつだったかなあ」とはぐらかされてた。
そもそも両親が結婚したときに撮った写真とか、存在しないし。
どこそこで式をあげてどんな様子だったとかいう話も、そういえば聞いたことない。
両親の出会いから私の出生までのことは、何も分からない暗黒時代なんですよね。
おそらく、結婚式してないんじゃないかと思うんです。
付き合ってるうちに子どもができちゃったというなら、仕方ないですよ。それは。避妊しろよとも思うけれど、失敗することはあるしね。
それで、世間体を考えて式はあげずに入籍だけしたというなら...
それも仕方ないでしょう。花嫁衣装を着られなかった母は、かわいそうだけれど。
でも...
気にかかるのは、その後の母が異常と言ってもいいくらいに、性というものに潔癖であったこと。
潔癖というよりそういうもの全般を、憎み嫌っていた風にさえ見えたこと。
おそらくですが、私が物心ついてから両親には夫婦交渉が全くなかったと思われるし。
私の第二次性徴を知ったときに、母は取り乱してひどい折檻をした。おかげで私は、性だけでなく女の子のことを考えるのも怖くなり...
それからしばらくの間、興味の対象が同性になっていました。
(それは折檻のせいばかりでなく、私自身の性志向にそういう要素があったのかもしれませんが)
とにかくその点に関して母にちょっと常軌を逸した部分があったのは確か。
晩年は、父への嫉妬妄想に悩まされていたし。
そういうのを私はこれまで、母がごく若いときに、何かの性被害を受けて、それがトラウマになったせいではないかと思って来ました。
でも...
考えたくない、恐ろしいことですが...
そのトラウマを植え付けた加害者が、もし「父」だったとしたら。
もしかして、私は性加害、性暴力の結果として出来た子なのではないか。
自分に「出生に関する秘密」があったことは、まず間違いないのですから、有り得ないことではない。
母の晩年の妄想...父を性的に汚らわしい存在だと決めつけ、激しく責め立てていたのは...
父が「そういう人」だということを、誰よりも母が知っていたから、という可能性もあります。
ひょっとしたら、あの嫉妬妄想の全部が妄想だったのではなくて、何がしかの実態もあったのでは?とさえ思ったり。
七十代で子どもができる人だっていますから。ミック・ジャガーとか。
とにかく...
自分はもしかして「レイプの子」なのではないかという、なんとも恐ろしい考えも浮かんで来るのです。
大人になるまで、優しくてかっこいい存在でしかなかった父に、とても自己中心的で、意外に粗暴なところがあることが、傍について介護してみて初めてわかりました。
それを60年近くにわたって続けた母は、さぞつらかったことでしょう。よく耐えたなと、その立場になってはじめて思ったものです。
ずっと母以外に対して付けていた父の仮面の下に、全く別の顔があったということが、ここに来てわかって来たから、なおさら疑念が生じます。
いや、単なる妄想であってほしい。
そういうことになったりするから、やっぱりたとえ我が子に対してでも、隠し事や嘘はいけないですね。
弱いところや汚いところを、小出しにでも出して行って、正直に生きるべきだと思います。