今日は施設にいる母に面会するはずの日でした。
私は会いたくもないのですが、父が今日を心待ちにしていました。
脳梗塞で母が倒れる前日まで、その妄想性障害のためにどれだけ辛苦を味わったか、などは父の頭から消えて…
いろいろな思い出とともに、母の人柄も父の中でものすごく美化されています。
実際にはなかったような良い思い出まで、心の中で作り出されている様子。
母の乱脈なお金の扱い方や、家にいなくなってからわかったデタラメな投資のせいで失われた多額の金銭。
そういったあれこれについて、一応報告をしても「困ったな」だけで、響いてはいない様子。
もう老い先短い身では、そうした話は受け入れたくない、聞きたくないということなのでしょう。
いい妻だった、いい結婚生活だった、と信じて最後の年月を過ごしたい…という気持ちも、分からないではないです。
ただ、頭の中でそう思ってくれているだけならいいのですが、美化された思い出をとうとうと語るのを聞いていると…
たまらず「なんとかならないかな」と父から頼られて…
(父としても息子に迷惑はかけたくなかったでしょうけれど、耐えられず、また対処の仕方も分からなかったのでしょう)
母の妄想障害と対決させられて、苦労した身としては、やっぱりイライラして…
聞こえないふり…頭の中を素通りさせるのも苦痛なのです。
失敗した結婚。失敗したマイホーム選び。墓を確保するのにも失敗して。
仕事で成功した一方で、私生活の大事な所ではいろいろ、うまくいかなかった父の人生なのかもしれません。
かわいそうだから言いたくはないのですけれど…
どれをとっても考えが浅くて、そのときの、見た目の印象だけに左右され過ぎて、見通しが甘かったことによるのだと思います。
たぶん考えるよりも「直観」で動くタイプで、私生活ではそれが裏目に出たのでしょうね。
「今から言ったってしょうがねえ」が父の口癖になっているのですが、そうやって失敗の反省をせずに…
結果、その後の行動に反映させることなく、ただ流して来たから、失敗と不運続きになったのだとは思います。
いまからそんな風に批判するのはかわいそうだから、決して本人には言わないですけれどね。
そういうわけで、楽しみにしていた母との面会ですが…
なんと当日の午前中に施設から電話があって…
「昨日夕方、お母さんのいる階でコロナ陽性患者が出てしまいまして、階の行き来が止まったので…」
「大変申し訳ないのですが、当分の間、面会は中止とさせていただきます」と。
コロナが再び流行り始めていると聞いてはいましたが、やはり本当だったのだと実感しました。
もちろん、父はがっかり。
以前母がコロナに罹患したときは、まだこの病気が「感染症2類」だったので、すぐに治療薬を処方されて回復したのですが…
今は「5類」に変ってしまい、治療薬には何万円もの実費が必要になるので、もし母がかかったらどうなるのでしょう。
お金に余裕のない人は、罹っても対症療法で、何日も耐えるしかないわけですから…
若い人は我慢すればいいでしょうけれど、高齢者の死亡率は上がるのではないかと思います。
亡くなるまで行かなくても、治るまでに体力を著しく消耗すれば、体力が衰え、介護度も上がりますね。
歩けた方が車いすになったり、車いすで動けた方が寝たきりになったり。
まあ、皆さんそうしたデメリットも理解したうえで「2類を5類へ」を受け入れたのでしょうから(そうですよね?)…
受け入れるしかないです。
年寄りとか、体の弱い人とか、お金のない人とか、そういう弱者を切り捨てられるのだから、それでいい…
そう考える輩も多いのでしょう。公言するかどうかは別として。
あの、〇▢メガネの社会学者とか、こないだ都知事選に出た元・地方自治体知事とかは、そうじゃないですか?
ホリエモンとか橋下とかひろゆきとか、それから麻生太郎みたいな人も、内心はそうかも。
社会的コスト、負担を減らせるとか言って。
ともあれ、母がこの後どうなるか、今は見守るしかないです。