■ 釈迦本との出合い・・・
お導きは、天よりの声とばかりとは限らない。
人生に行き詰まった時に、自分の進む道が全く解らず真っ暗に成った時に、前に進む為に差し込む導きの光(光明)が有る。例えばそれが、書店でふと見つけた本だったり、誰かの助言だったり、音楽だったり・・・。誰もが経験をした事が有るかと思う。難儀や苦に逃げ出さず向き合った時に導かれる。
或る時、余りの苦しさに天に聞いてみた事が有る。「苦しくて仕方が無い。どうにもならん?」すると、こんな声が聞こえて来た。
時間は昼時である。「空を見よ。昼間の空にも星は輝き存在する。しかし、こうも明るければ見えない。存在すら忘れてしまう。暗い夜には、星が良く見える。街の灯りも月の光も無い闇夜は、さらに星は輝き良く見える。」
「そうなんだ・・・。昼間も星は出てるんだ・・。考えた事も無かったな~なるほど。」ポカーンと、しばらく空を見た。
苦労や難儀にとっぷり肩まで浸かってしまった時、あの頃は、当たり前と思っていた事や苦労と思っていた事も、当たり前が幸せだった事に、苦労と思っていた事さえも大した事ではなかった幸せの一端だった事を思い知る。結構、恵まれていたんだ・・・そう思える。
天からの声、星の例は、聖書に書かれている事を、後から人から聞いて「そうなんだ・・・」と知った。
肩までとっぷり浸かってしまった苦労や難儀に終わりは無かった。とうとう、頭の先までとっぷりと浸かってしまった。「もう、息も出来ん。終わりかな・・・。頑張ったんだけどな・・・。」通常では、報われるはずの苦労や難儀・・。粋を超えてしまっている事を感じる。、、報われない。理不尽な事もいっぱい重なって来た。理不尽は、私にとっては、理不神と言う意味に思えた。道理に合わない・・報われない・・神仏に見放されたと言った方がいい。
私は「理不尽の限りがここに有ったとしても、死が直ぐ目の前に存在しようとも、天(神仏)が私を見放そうとも、私は天(神仏)を愛し信じます。」と言った。「こうなったら、もう、そちらが嫌でも衣の裾(神仏の)だろうが足だろうが、しがみついてやる・・。」もう、ヤケクソだ!!。。そうは言ってみたものの、どうすれば良いのか解らない。
ある日の事、偶然に古本屋で見つけた本が有る。超訳・仏陀(釈迦)の言葉(小池龍之介著作)。解りやすく解説された本だった。要らなく成ったCDを売り、そのお金で買った。定価は結構したが、CDを売ったお金で間に合った。助かった。
やっと、ここに至って、現れたか・・釈迦め・・!。
私は、これも、釈迦の仕業(導き)で有る事を感じ察した。
が!読んで腹が立って仕方が無かった・・。腹が立って立って思わず3回も読んでしまった。
そこから、究極の教えがはじまっだ。
明日は、実際に起こった話・・・。釈迦と初めて出会った時の出来事命を救われた怖い体験を話します。・・・とにかく、怖かった・・!
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